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今年の振り返り

 2023年は自分史の中で述べない訳にはいかぬ年であった。1月から3月は大学4年生という肩書でヌクヌクしていたから、正確には大学を卒業した4月以降の日々である。就職先がないまま不本意な形で社会に放り出され、モラトリアムの自由を謳歌するどころか、自由がこんなにも不自由で不安定なものなのかと思い知らされた年だった。そして今も何も解決の糸口は見つかっていないが、正月ぐらいは無責任に問題から目を背け、餅で上がった血糖値をなだめつつ、大局観をもって去年を振り返ってみたい。
 
 まず、2023年のハチャメチャな生活から学んだことは、夢も目標も野心もクリエイティビティもパンク精神も、精神的余裕があって初めて生まれるということである。特に、経済的余裕と身分の安定が不可欠であるということである。

 雪をへて梅は白く 霜をへて楓は紅い
 もし天意を知るならば だれが安逸を望もうか
 
 というのは西郷隆盛の言葉であり、金銭に執着しないということが、いつの時代も変わらぬ美徳と信じていた私だが、歴史上のどんな聖人や偉人も、毎月の請求書に怯えながら生活していたわけではなかろうと分かったのである。金銭への執着とは必要最低限以上の金銭を求めることであるが、必要最低限の金銭とは、「家賃、光熱費、食費、税金が払えて、月に何回か美味いものが食えて、月に数万円定期預金できて、年に1回ぐらいは旅行に行けて、他人の誕生日に1万円ぐらいのものを買えるくらいの金銭」である。

 何かをしようとしても口座残高とにらめっこをして諦める生活を続けていては、そのうち何もする気がなくなるし、物欲もなくなるし、旅行だって行けるわけがないと知っていると未知の土地に足を踏み入れる好奇心だって消えていくし、ちょっと先まで電車で行く交通費もケチるようになっていく。最終的には現代の人間が最も恐れるべき、無気力という境地に達することになる。

 4月の段階では、就職先が未定なことを逆手に、”最低限の収入”でフルタイムワーカーにはできない自由な生活をしてやろうと意気込んでいたが、結局自由な生活を手にするどころか、四六時中口座残高を気にする不自由な生活を余儀なくされ、結局それが8か月続いてしまった。

 
 そして、2024年の目標は経済的な心配を無くすこと、すなわち金を稼ぐことで、正月だというのに私の財布の紐は岩石の様に堅く、私の目は正月から$$になっている。
 ただし、無事に仕事が上手くいき、経済的余裕を手に入れたとしても、去年1年間で得た教訓は忘れずに、最低限の生活を維持していきたい。そして、二度と経済的事情による精神的余裕の欠如は経験しないように、慎重に人生ゲームを進めていきたい。

 とりあえず、2023年という最低な年が終わったことにほっとしている。センター試験自分史Aの参考書のクソ長かった章を読み終えた。幕末の章を終えて何となく明るい明治時代の文明開化を読み始めるような気分である。まあ、それだとしばらくして戦争の時代に突入するのだが。
 
 

 

#最近の学び

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