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私が宿をやりたい理由(徳島宿プロジェクト)

連休が明けて、徳島から帰ってきた。

今回の滞在は、「鳴門を知る」というのがひとつの目的だったのだが、いろいろ訪ねて回ったことよりも、川西に帰ってきて読んだnoteの記事に心を打たれた。

名所と言われるところを観光したり、地元のグルメに舌鼓を打つことも旅の楽しみではあるが、旅にはいろんなカタチがあり、様々な目的や味わい方があるものだと改めて痛感した。

町をガイドブックやネット記事で知るのもいいけれど、やっぱり地元のことは地元の人に聞くというのが旅の醍醐味。どんな観光地であろうと、そこに暮らす人々の暮らしがあって、そこにはいろんな人生がある。言わば、旅をするというのは様々な人の人生に触れるということでもあるんじゃないか・・・。

土産物屋のおばさんにも家族が居て、人生の物語がある。そうした人生にふれることが旅の味わいになる。逆に宿をやるというのは、旅人の人生に触れることでもある。改めて、どうして宿がやりたいのか、その理由が分かった気がした。

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「コロナが沈静化した後にやりたいことは何ですか?」というアンケートでは、7割以上の人が「旅行」と回答しているという。今まで閉じ込められていた反動ということもあるのだろうが、改めてもっと世の中を見てみたい、いろんな人に会って活力を得たいとの思いが膨らんでいるのではないかとも思う。

ポストコロナの旅は、人と人がふれるための旅であり、その土地に暮らす人々の知恵や大切に守ってきた思いを知り、それが自分の生き方を考える機会に成る、これからの旅に大切なのは人じゃないのかな・・・そんな旅がきっと増えていくのではないかと密かに思っている。

思い起こせば、2002年サッカー日韓ワールドカップ。

韓国開催の試合チケットを手に入れ、喜び勇んで韓国に渡ったのだが、着いてみて自分が韓国のことを何も知らないことに気がついた。しかし、一人の年老いた韓国人との出会いから、私の旅はとても深いものになっていく・・・。

試合が行われた光州という街では、ちょうど芸術の祭典ビエンナーレが行われており、彼はそのビエンナーレのボランティアガイドをしていた。とても美しい日本語を話す老人は、戦時中日本で暮らしていたそうで、かなりの苦労があったはずだろうが、日本人である私にとても優しく接してくれた。

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光州は激しい民主化運動の戦いによって多くの市民が犠牲になった場所。同じ国の人間が殺し合うなんてとても恥ずかしいことと語るその老人は、何も知らない私に静かにでも熱い思いを込めて韓国の歴史を教えてくれた。

ただサッカーが見たくて浮かれていた私は、こんな風に自分の国の歴史を他国の人に話すことができるだろうかと、とても恥ずかしい気持ちになったことを今でも覚えている。

あのおじいさんは、今でも元気にされているだろうか・・・

旅というのは、思いがけず自分の立ち位置に気づかされるものでもある。だから旅は面白いし、こうしたところに一人旅ならでは良さがあるのかも知れないな。迷惑かも知れないけれど、宿を訪ねてくださるお客さんとたくさん語り合いたいと思うし、あの人にまた会いたいな・・・なんていうのが旅の動機になったとしたら最高だなと一人妄想する日々。

事業計画書を練り直すモチベーションはなかなか上がらないけど、やっぱり宿がやりたいという思いは、フツフツと膨らんでいる。

さあ、気合いを入れて書き上げよう!

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