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2拠点生活のススメ|第52回|体裁だけの形容詞なんていらない

形容詞とは、物事の状態や性質が「どのようであるか」を表現する言葉。でも本当の意味で「どのようであるか」を表現していないことも多い気がする。

綺麗な海とか、カワイイ猫とかといった表現で一体何が伝わっているのか。

最近、そうした真意の伝わらない形容詞がSNSに散乱している気がする。そんな体裁だけの形容詞なんて要らないんじゃ無いか・・・。

自分への反省も込めて、今日のnoteは、そんな形容詞について考えてみた。


形容詞①:「楽しい」

自分のnoteを振り返ってみても、この「楽しい」という言葉をたくさん使っている気がする。これだけ世の中が多様化する中で、「楽しい」という言葉の共通認識がどこまで通じているのだろう。

自分が発する「楽しい」と、他人が受け取る「楽しい」は、きっと全く違う。

なんとなく体裁めいた感じで「楽しい」という言葉を使ったところで、何も伝わらないのでは無いか、これって何かおかしい、反省するべきことなんじゃないか。

自分が発する「楽しい」ってなんだろう。

使う場面や前後の文脈によって、当然違ってくるのだろうが、他の言葉で置き換えるならば何にあたるのだろうか。「ワクワクするといった高揚感」なのだろうか、それとも「自分にとって大切というニュアンス」なのか。

そうだ、きっと「自分が喜ぶ」ということだ。

そう置き換えるだけで、意味がぜんぜん変わってこないだろうか。そう考えると「楽しい」という言葉は、今や一人称でしか使ってはいけない言葉なのかもしれない。


形容詞②:「美しい」

この「美しい」とか「綺麗」とかいう言葉も世の中に氾濫している形容詞のひとつだ。使い方をよく考えないと、ボキャブラリーの無さを露呈するどころか、アホだと思われてしまいそうで怖い。

「美しい」という言葉は、一般的な見方とは別に自分自身の心が動かされるもの、琴線に触れるものに対して使うこともある。この方が、本来の美しいという言葉の持つニュアンスをよく表現しているような。

そういう意味では「美しい」を言い換えれば「心動かされる」ということになる。

何か、いいな。

これからは、そう言い換えていくことにしようかな。


形容詞③:カワイイ

今や、この形容詞は、日本語の枠を越えて、世界の言葉になりつつある。

アメリカでは“kawaii”が「かわいい」と対照的な「格好いい」のニュアンスすらも内包した、日本の新しい美意識になっているらしい。

意味が拡がりすぎて、本来の意味はどういうことなのかを見失っている気さえする。ちょっと辞書で調べてみよう。

1 小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま。       2 ほかと比べて小さいさま。
3 無邪気で、憎めない。すれてなく、子供っぽい。
4 かわいそうだ。ふびんである。

なるほど、本来は小さいということがメインの言葉なんだな。今やこのカワイイはマッチョなイケメンにも使うし、オヤジに対しても使う。

また「かわいい」は若い女性にとっては、一種の相づちだという学者もいる。

「かわいい」には従来の「愛らしい」に加え、気に入ったものを主張する機能、海外の人々にとって日本文化の一部を示す機能、 そして会話上の潤滑油としての機能があるということらしい。

そう言われるとオヤジには、「かわいい」は、おいそれと手を出しにくい形容詞になってしまったような・・・。


いづれにしても、

思いを伝えるには、安易に形容詞を使うのは止めて、よく考えて何かに置き換える必要があるのかもしれないな。

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