私がけてぶれをやっているのはなぁぜなぁぜ?

なぜけテぶれをしているのか。
もう一度考えてみる。

これからの未来を社会をよりよく生きていくために1番大切な情報、それは「自分自身の情報」
その自分自身の情報を集めるときに有効なのが物事に対して何かをやってみたときの自分の感情や行動、思考を分析してみること。それらは誰かに強制されたものではなく自分で選択してやってみたことに自分の真の情報が表れる。自由の中をどう自分が動いていくか。ありのままの願う自分で生きるには。自分が決めたこと、やったこと、感じたこと、考えたことを素直に受け取ってよりよい生き方を見つけていく必要がある。
 でも、それらはそう簡単に誰もができるものではない。大人でもできていない人がいる。自分ではなく他人からの決められた情報で生きている人もいる。それはしんどい。自分のことを1番知っているのは今まで生まれてきてからずっと共に歩んできた自分であるはずだ。他人から否定されたら簡単に壊れてしまう自分なんてもったいない。他人から何を言われようが、それを一意見として捉えぶれない確固とした自分をもつ。それが人格というものでないか。
 これらも踏まえて小学生の今。小学校という失敗してもいい社会の中で多くの教科単元で物事と出会い、望む自分を決めそれに向けてもがいて、やるもやらぬも自分で決め、その結果を自分で受け取る。絶えず主観で受け取りつつ、仲間や大人から客観的な情報も受け取る。その中で自分を磨く。
 前述したがそれは簡単ではない。ほらどうぞでできるものではない。ならどうするか。そのための技を学び、徹底的に使い、自分に合うようにアレンジしよりよいものに洗練していく。たくさんの事象に合わせて。自分の情報を集めるときに避けて通れないのが他人とどう関わっていくかという情報もある。その情報を集めるために学校、教室があると私は思う。自分と合う人、合わない人幾多の人との関わりの中でその社会の中の自分の情報を徹底的に集めていく。集めて新しいものに出会って壊して上書きしていく。これらを網羅する上でけテぶれが1番しっくりくる。
 教師として子どもに強制させるなら私はこれだ。本当に簡単じゃない。裏技じゃない。すぐにできるもんじゃない。だってよりよい生き方を目指すためにやってるんだもの。一生かけてやってもわからない人もきっといるだろう。これだけ人類ができてから月日が経っているのに全人類にあてはまる確固たる生き方なんてないんだから。その何億分の一のたった1人の自分の情報は自分で探していかなければいけないんだよ。ただ教科書の問題ができた、できなかった、わかった、わからないレベルで小学校を終えてもいいんだけどせっかくやるなら未来のために今の自分の一瞬一瞬を蓄積していったほうがよくないか。ということを改めて思う。
 子ども全員にこの思いは伝わらない。自分が子どもだったら今の自分の気持ちはわからないかもしれない。でも1人の大人として教師として人間としてそれぐらい覚悟をもってやっている。

夜中に目が覚めて急に不安になって考えたこと文字にして思考を整理している時間。 QNKSできました。

#けテぶれ

連続ポストしたものをまとめてみました。

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