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中国に行って鬱が軽減した理由

去年の今頃(まだ日本にいた)妻が「この人はもう本当にダメかもしれない」と思ったという状況から、今は随分(少なくともこんな文章が書けるくらいには)良くなってきた。その理由と思われるものを書きたいと思う。

1、コミュニケーションがとれない
鬱の人間にとって、コミュニケーションは辛い。そもそも言葉が通じないのだから、コミュニケーションの取りようがなかったのはとても気分が楽だった。
学校には当然先生がいるが、俺が何を言っても”很好!(いいね)””厉害!(すごい)”と言ってくれる先生だったので気分が良かった。

2、ストレートな物言いが当たり前
中国の人はストレートにものを言うのが当たり前で、逆に言うとストレートにものを言われて怒る人もいない。今は少し中国語が話せるようになってきたのだが、俺の鬱に対して「強い気持ちを持たないと」とか「幸せは心が決める」とかみつをみたいなことを平気で言ってくる人がいる。その都度”谢谢”って言ってたんだけど、「中国人は親しくなったら”谢谢”なんてお互い言わない」なんて言ってくるもんだから、こっちもストレートに「水泳で金メダルを10個とったイワンソープも鬱になった。イワンソープが強い気持ちを持っていないわけがない。逆に、強い気持ち(頑張り続ける、休めない)が鬱の原因になることもあるんだ。」ってはっきり伝えたら、「無神経なことを言ってごめんね。でも悪気はなかったことはわかってほしい。」とあっさり言われて拍子抜けした。

こんな風に、日本で考えると無神経と思われるような、違う言い方をすると親しい人の間でしか行われないような会話が、会って3日くらいでポンポン出てくる。そしてこれは、彼らにとっては親しくなった(と思っている)証明でもあるのだ。当然親しくなったと思われることは悪いことではないし、嫌なことは嫌と言えるのはとても楽なことなので、慣れた今となってはストレートにものを言える喜びを日々味わっている。まあ語学力がないのでストレートだろうが変化球だろうが、そもそも言えること自体そんなに多くはないのだけれども。

3、寛大
中国人によく「日本はどこに行っても清潔でいいね」と言われるのだが(ちなみに今の北京も普通に清潔)自分としては、それが暗黙のルールに基づいたものであり、むしろ息苦しく感じていたことを思い出した。国籍以上に個性の方が違うことを前提としても、日本人の方が自分に厳しく他人にも厳しい人が多いように感じる。性根がだらしのない自分としては、中国人の寛大さが心地よい。

ここまで書いて思ったが、中国が特別というよりは、日本の方が特別で、他のどの国に行っても同じような印象を持つのかもしれない。
改めて、鬱の人には語学学習を勧めたいと思った。

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