中国ドラマ”都挺好”における杨佑宁の存在感について、10回以上観た俺が語る
たぶん日本においてこの記事を読みたいと思う人は100人に満たないだろう、その100人のうちこのページにたどり着く人は皆無だろう、それなのに画像まで貼ってnoteのサーバーを浪費していいのだろうかと思いつつ、我慢できないので書く。あなたが最後まで読まないことに200カノッサ。
都挺好は”ALL IS WELL”という英語名がついている。学校では「太好了」も「挺好的」も「very good」と習ったが、前者は「ちょーいい!」に対して後者は「まあまあいいよ」という感じらしいのを後から知った。なので「都挺好」は「みんなそこそこいい感じ」あたりが近い表現になると思う。しょっぱなから本筋を逸れてしまったが、以下から本題。
このドラマ、人情系のドラマの中では個人的に世界一気に入っているドラマなんだけど、出ている役者がすごい。姚晨(娘役)、倪大红(父親役)、郭京飞(次男役)、いずれも群を抜いた演技派で、おそらくこれから語り継がれていくであろうレベルの俳優さんたち。自分も見終わった後のレビューには真っ先にこの3人の名前を挙げ、シナリオだけ読むと極端に過ぎるであろう役柄を、見事に血の通った人間としてこちらの胸にストンと納得させる演技は見事にもほどがあると書いた記憶がある。
それから中国語学習のために繰り返しみてきて、8回目を超えたあたりから杨佑宁(写真上部中央の人)のすごさに気づき始めた。杨佑宁はイケメン枠と呼ばれ、このドラマ上での評価も特に高くない。しかし違う、彼でなければ都挺好がここまですごいドラマになることはなかったと、見れば見るほど感じてくるのだ。
役者の凄みは泣き、激昂、独り語りのシーンなどで伝わりやすい。そして姚晨、倪大红、郭京飞らはそれぞれ該当するシーンで誰がみても圧倒的な演技でそれを表現している(マジで、そのシーンだけ見てももらい泣きするくらい)。一方杨佑宁演じる石天冬は、情緒の安定した一般ピーポー。上記3人の他にも個性あふれるキャラクターが勢ぞろいする中で、「頼りなさげだけど頼りがいのある」という中途半端で、むしろ最も難しい演技が要求される役を抜群の安定感で演じている。
そんな難しい役をじっくりと丁寧に彼が演じているからこそ、下手するとドタバタ喜劇になりかねないこのドラマを、深みに満ちて説得力のある、自分にとっては人生を改めて考察するきっかけとなるほどのものに落ち着かせている、と今は確信している。彼が凄まじい泣きや激昂の演技をしないのは、それができないからではなく、シナリオにないからに過ぎない。彼の演技を見るためだけでも、このドラマを見る価値がある。個人的にも、それに気づけただけでも繰り返し観て良かったと思う俳優なのであった。
(ここまで読んだ人、なんで?)
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