2019年、春、4月のある日

年末から年が明けて3月までわりと慌ただしく毎日を過ごしていて、半月に1度のペースで風邪を引き、風邪を風邪と言うと移りたくない人達に嫌がられるんじゃないかと思って花粉症ということにしてしのいでいた。すぐそういうことをしてしまう。私は。

慌ただしかった3月に大きめの仕事があって、それに成功したら昇進の近道になるし、君のことを上に推せるから、がんばってくれと言われて挑んだその仕事がなんともいまひとつな結果に終わってしまい、私は本当に決めるところで決めきれないんだよなぁいつも。と、思って、けれどもさほど落ち込むことなく4月を迎えている。
また春になってしまった。桜も咲いている。桜というのはあんなにきれいなのにめちゃくちゃ一瞬しか咲かなくて、見逃したらまた1年待たないといけないという、ものすごくハードルの高い存在だと思う。もうちょっと咲いててくれてもいいのでは。

忙しいのが一段落したら、1人で花見に行って、温泉に入って帰ろう。とずっと心に決めていた。結局、人と遊ぶのも好きだけれども、1人遊びが好きなのである。しかも、私が1人で出かける時は天気も驚くほど快晴になる。けれど誰かと出かけると曇ったり雨だったりもするので、そこを晴れにしてあげられるほどの晴れ女ではないのだなといつも思う。天気を良くできるのはだいたい自分の為だけ。なので、「めっちゃいい天気だね!」と言う相手がいなくて、それはちょっとさみしい時もある。

春はセンチメンタルな気持ちになるね。と言われても、だから良いんですよ。とは思っても言わずに、そうですね。とだけ答える。
春センチメンタルになるという、その心もとなさが、不安で仕方ない頃もあった。だからずっと春が苦手だった。生ぬるい風と、突然色づき出す風景。
いつからこんなに、自由で、春になればどこにでも行けるみたいな気持ちになるようになったのだろう。

そんなわけで今日もど快晴の中、地元の山の中にある温泉に向かった。1人でとぼとぼ車を走らせて、後ろの車に煽られたりトンネルが怖かったりしながら進む道中、道沿いにずらっと桜並木が続いていて、桜の下に黄色い花がたくさん咲いていて、夢のような世界だった。
桜ってどうしてあんなにかわいいピンクをしているのだろう。あんな姿でいられたら、みんな絶対好きになるじゃないか。植物界の新垣結衣ちゃんみたいだ。みんなが好き。どんな悪人も、意地悪な人も、うちの職場に怒鳴り込んでくるとんでもないクレーマーの方々も、みんなこの景色を見て綺麗だと思うのは変わらないのだろう、きっと。と思うと不思議な気持ちになった。

温泉に入って、少し日が傾き始めた午後4時前に車に乗り込み、エンジンを止めたまま、先日禁煙中なのにうっかり知人にもらってしまったタバコに日をつけた。車の窓を開けて、鳥のさえずりしか聞こえないような静かな空間で、紙巻タバコの燃える微かな音を聞きながらうとうとするみたいな贅沢な時間を過ごせることが、人生であと何回くらいあるのだろう。と思った。

そう、こうやって、何に追われることもなく、のどかに過ごせることが私にとっては1番の幸福で、何にも変え難い、ひとりあそびの時間。今年はそんな春を、過ごした。

#日記 #春 #桜

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