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『不眠症のドラゴン氏と放逐された貧弱術士』第二話

 メリーは、まだと言うべきか、もうと言うべきか、十七歳だ。国の法律に、飲酒を制限する年齢に関するものはないため、彼女も酒は飲める。常飲する習慣はないものの、たしなむ程度には好きだ。まして、思い描いていた未来図がことごとく不発に終わっては、虫の居所も悪くなって、飲みたくもなる。メリーは、バイトで稼いだ金を握りしめ、あえて場末の安酒場へ出向いた。

 ネロンビアの治安は、比較的いい方だ。それは確かに、現代日本ほどではないが、裏通りを女子が一人で歩いていても、さほど危ない目には遭わずに済む。あくまで「さほど」ではあるが。それに、日が落ちれば、どこであれ危険ではある。さすがのメリーも、「筋金入り」の場末、もっとざっくり言えば、貧民の多い地域へは、怖くて足が向かないし、あえて劣悪な環境で酒を味わえるほど、神経も図太くない。だから、「ギリギリ清潔感があって、破格で飲めるという評判の酒場」に行くことにした。

「落花生をありったけと、ブルーチーズを一ピース! あと、上から三番目ぐらいのランクの赤ワインをボトルで一本!」
 平日の昼間から飲んでいる客はさすがに少なかったが、そんな事は関係ない。カウンター席に陣取るや、メリーは無遠慮に、「およそ自分が考え得る、最高に贅沢」なオーダーをした。こういうささくれた気分の時は、好きなものを好きなだけ食べるに限るわ! と、彼女は、すぐに出てきた山盛りの落花生を、まずは二十粒ほど殻を剥いた。そして、それらを一気に、リスのように頬張り、ワインで流し込んだ。ブルーチーズも、本来はクラッカーに乗せるなりして、少しずつ味わうべきを、大口を開けてかじりついて咀嚼して、やはりワインをがぶがぶ飲んだ。先述の通り、メリーは育ちがいい。そのため、普段はこんな食べ方をしないのだが、「腹いせのやけ食い」に「上品さ」を求めるのも、何かが違っているだろう。

「いい飲みっぷりだね、君」
「ふぁっ?」
 ワインのボトルを飲み干さんとしていた時、不意に、カウンターの端に座っていた男が話しかけてきて、メリーは間抜けな声を上げてしまった。酒も、勢いよく飲めば、回るのは早い。既に、上機嫌を通り越して、悪い酩酊感を覚え始めているところでの出来事だった。

 その男を見て、メリーは「あれ?」と思った。年の頃は、多分二十代後半ぐらい。魔道士然とした黒いローブ姿で、見た目は、少し不細工な小熊のようだった。座っているせいで、正確なところは分からないが、少しやせ型ではあるものの、背は高い。縮れた短く黒い髪に、どこか全体的に、「ぽってり」という形容が似合う……特に、唇がそうだ……顔の部品。特別にハンサムなわけでもないのはいいとして、特徴的なのは、肌の色だった。黒かった。少なくともメリーは、こんな肌の色の人間は見たことがない。黒、という色のイメージからして、なんとなく、圧倒的多数派の、善なる神ラーサの信者に比べると、かなりの少数派だが、信仰する者もいることはいるらしい、邪神ハリルの使いなのでは? と思った。
「ふふっ、はずれ。僕もラーサ派だよ」
 そんなメリーの疑念を読んだかのように、黒い男が笑った。その笑みはとても人なつこく、性根は悪い人間ではない、と思わせるに十分だった。
「……どこの人?」
「僕の出身は間違いなくこっちだけど、先祖がウフリム大陸出身なんだよ。ざっくりと、イメリーズ大陸から見て、南東の端っこと思ってもらえればいいさ」
 おそらく、何度となく聞かれた質問なのだろう。定型句のように、だが、うっとうしがるどころか、明るい茶目っ気さえ添えて、男が答えた。
 メリーは白人種であり、世界を飛び回る貿易商でもないと接点はないが、現代の我々の言葉で言えば、この男は、ネグロイド系、黒色人種なのだ。ネロンビアでは、かなり珍しい。
「それで……あっ」
 疑問が解決されたのはいいとして、そこでメリーは、大変気まずくなってしまった。とてもはしたない、やけ食いとやけ飲みを、他人に見られたことが、今さらになって恥ずかしかった。
「はははっ、いいじゃないか。人間、ヤケになって飲み食いしたい時だってあるだろう。僕も例外じゃないさ。もっとも僕は、ナッツ類は嫌いだけどね」
 明るい笑顔。ハンサムではないけれど愛嬌があって、少なくとも、自分は悪くないなと思う笑みだった。しかし、さすがのメリーも、初対面の異性に対して、警戒心が皆無、というわけでもない。
「……ナンパですか?」
 少し顔を引き締めてメリーが問うと、男は、ごく軽く口笛を吹いた。
「残念。僕は、女の子よりも、男の方が好きでね。そこは安心していいよ」
「へ? 男なのに、男が好き?」
「そういう星の下に、産まれただけさ」
 ほんの少し複雑そうに眉根を寄せる男だったが、そう言われても、メリーにはまるで分からなかった。再度現在の我々の言葉で説明するならば、この男はつまり、ゲイだ、ということになる。
「な、ナンパじゃないなら、それでいいんですけど……わたしに、何か?」
 男なのに男が好き、という概念は、世間の大多数が好奇の目で見るだろう。だがメリーは不思議と、「そういうことなんだ」と納得することができた。しかし、ナンパでないなら? 怪訝な顔をするメリーに、男は、彼女の顔を確認するように見て、答えた。
「君は、メリー・シープフィールドさん、だよね? ギルドの掲示板を見たんだけど、まさか、こんな場所で会えるとはね」
「あっ! は、はいっ!」
 ギルドの掲示板を見て、ならば、スカウトかと思うのは、至って当たり前だろう。メリーも、かなり期待した。ただ、黒い男は、少し難しそうな顔をした。
「スカウトじゃないことは、まず謝っておくよ。その上で、さらに失礼なことを言わせてもらうけど、君のスキルじゃ、欲しいパーティーはいないんじゃないかな?」
「あ、あうっ!」
 どうやら、やはりこの言葉が、自分の客観的な評価らしい。大いにへこむメリーだった。
「ところで、シープフィールド、ってファミリーネームで思ったんだけど、君は、あの銘柄と関係あるのかい?」
 ネロンビア市民が「あの銘柄」と言う場合は、まず間違いなく、「我らが誇れる乳製品のブランドである、シープフィールドマーク」という意味だ。
「あ、はい。実家です……。親からは、その、勘当同然の身なんですけど……」
「へえ、いいとこのお嬢さんじゃないか。ま、そこの娘さんが、どうして冒険者をやってるのか? までは、別に僕も興味がないけどね」
 少し助かった、と思った。自分が冒険者の道を選んだことや、実家との確執を話さなければならないのなら、ちょっと長くなるし、何より、あまり気が進まないからだ。そんな内心など気にする素振りもなく、男はニヤリと言った。
「スキルアップ、したいんだろ? でも、お金の面で困ってるから、どうしようか? ってところかな?」
「ど、どうしてそこまで!?」
 一言も言っていない自分の事情を、極めて正確に当てられ、メリーは狼狽した。男は、ニヤリと笑った。
「大当たりかい? 半分は勘だったんだけどね。やる気だけ先走ってる半人前の冒険者に、よくあるパターンさ」
「あ、あうう……」
 バッサリと「半人前」と断じられ、メリーはさらにへこんだ。
「でも、安心していいよ。僕がいるから」
 親指をそらし、自分の胸を指す男。自信ありげな仕草だった。
「そ、それはどういう?」
「君のスキルアップ、僕が請け負うよ。お金は求めない。すごく簡単な条件さえ呑んでくれればね」
 渡りに舟的な申し出に、メリーは一瞬喜びそうになって、少し立ち止まった。お金以外の条件? 何なんだろう? 家事を手伝え、とかだったら、まだ助かるかな……と思っていたら、それは、もっと簡単なことだった。
「今この場で、一番安い赤ワインを、僕に一杯おごってくれればいい。それさえ無理なら、ちょっと考えるけどね」
 一番安い赤ワインを一杯、というと、ダマス銅貨一枚。現代の我々の感覚で言えば、「自販機で缶コーヒーをおごってくれ」というそれに近いだろう。いかなメリーであれ、それぐらいは簡単すぎて、逆に裏がないのか? と思ってしまう。
「本当にそれだけでいいよ。僕は、お金儲けにも興味がなくてね」
「じゃ、じゃあ……」
 嘘を吐いていない男の目を見て、メリーは、賭ける気持ちで、店員に「一番安い赤ワインを一杯、この人へ」と言った。コップを受け取った男は、とても満足げな笑みで、それを高く掲げた。
「メリーさんの前途を祝して、乾杯。大丈夫、君の未来は明るいよ」
「は、はあ。それはそうと、あなたの名前は?」
 極めて素朴かつ、最も重要であろう事を、おずおずと聞くと、男は、「あ、ちょっと待って?」と言って、コップの安ワインを一気にあおり、「ふー」と息を吐いてから、メリーに向き直った。
「僕はダント。ダント・ロックバレイ。魔術を極めるのが趣味でね。ついでに、お節介を焼くのも、気まぐれでやったりするんだ」
「ダントさん、ですか」
「さん、はつけなくていいよ。僕、そういうのあんまり好きじゃないし」
「じゃ、じゃあ、よろしく。ダント」
「うん、こっちこそ。メリーは、さん付けが必須?」
「そ、そこまでこだわったものでも?」
「なら、メリーって呼ぶよ。改めて、よろしく。早速行こうか」
 人間関係に「需要と供給」という表現は適切ではないが、さりとて、「利」はあれども「害」はないので、「利害関係」というのも、またおかしい。とにかく、「教えを請いたい者と、教えたい者」の目的が合致し、二人は、酒場を出た。

#創作大賞2024 #漫画原作部門

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