情報との付き合い方を考える日(600字)
今日は東日本大震災が発生した日。
12年前は大阪に住んでいた。
この地震で情報に溺れる経験をした私は
情報との付き合い方を考えさせられた。
情報技術はめざましい勢いで加速していて
真偽だの整理だのでは追いつかない状況になっている。
巷で話題のchatGPTもそのひとつ。
上の記事でも書いたが
情報を選び取るのに重要なのは
情報の真偽というよりも
自分が何をしたいか
そのために有効な情報は何かということだ。
12年前、私がSNSから離れる区切りにしたのは
実家の安否情報を求めるブロガーさんのために
手掛かりを見つけたことだった。
コメントのやり取りをする程度のつながりだったが
ブログがとても好きだったので
何か見つけたいと思ったのだ。
私が探し当てたのは
その地区の被災状況や避難の様子だった。
多くの人が避難できているとのことだったが
具体的なことはわからない。
この情報はブロガーさんの希望になったけれど
最終的に無事が確認できるまでは気がきではなかっただろう。
私も無事を聞いてホッとした。
私が探し当てた情報は希望を持てるものだった。
それでも伝えるときに
この情報が相手に与える影響を考えずにはいられなかった。
情報は希望にも絶望にもなる。
それなのに現代は情報発信が手軽で多量だ。
だからこそ
受ける側として、無作為に浴びるのではなく
自分のために必要なことを
意志を持って自分で選び取ることが重要なのだ。
何を求めて情報に接しているか問い直す日だ。