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燃料電池車が難しいと思う理由

燃料電池車は基本的には凄く難しい技術だと思う。なぜならば、燃料電池の効率がそれほど高くはないからだ。

燃料電池の発電効率は電池の種類によっても変わるが、30~70% 程度。実用化されている燃料電池だと、実際の効率は 60% くらいと見ていいだろう。

つまり、燃料電池から電気だけを取り出すことを考えると、エネルギーの4割近くは捨てることになる。

家庭用に設置して利用する場合には余った熱は「給湯」などに活用できるが、自動車のような場合は走行中にお湯が沸いてもしょうがないので、結局は捨てることになる。

水素生産の課題

燃料電池が環境に優しいと言っても、燃料になる水素はどこからか調達してこなければならない。まあ、普通に考えると、太陽光発電とか、風力発電のような環境に優しい方法で発電された電力で水素を作ればよいのではないか?と考えるが、実は電気分解もエネルギーを 100% の効率で変換できる訳ではない。

実際には水素を電気分解で生成した場合は、その効率は 80~90% 程度と言われていて、ここでも 10~20% のエネルギーは失われることになる。産業から副生成される水素などもあるが、それが日本全土で消費するエネルギーのどれくらいを賄えるかは、よくわからない。

また、水素は化石燃料から「改質」という方法でも生産できるが、その場合は生産する際に二酸化炭素が出てしまうので、脱炭素の目的からは遠くなってしまう。

また、燃料電池を自動車に載せることを考えると、タンクへ充填するために必要なエネルギーも考えなければならない。

この辺りの数値はネットを探してもあまりなかったが、700気圧で高圧タンクに圧縮するとなると、最低でも 10%くらいのエネルギーは最低でも必要になるのではないか?と思っている(圧縮器の効率が 100% と仮定して、手元で適当に計算した感じだと 9% くらい)。

そうなると、次のような3つのステップを経由して、燃料電池車を走らせると、結果的にその効率は 43~56% くらいになることがわかる。

■ 電気分解での水素の生成
■ 高圧タンクへの充填
■ 燃料電池での発電

せっかく発電したエネルギーの半分ほどは無駄になってしまう計算だ。これに水素の輸送コストなどを加えるともう少し悪くなるかもしれない…

実際に公開されている下の資料によれば、「50khw の電力により 1kg の水素を生産することができ、燃料電池車を 100km 走らせることができる…」とある。

つまり、水素生成と燃料電池を経由させることで、1khw の電力で 2km しか走らせることができなくなってしまうのだ。日産のリーフであれば、1khw で 6~7km は走るから、同じ電力量で概ね 1/3 しか走れない、という感じになるだろう。

日本の最後の切り札

しかし、日本には最後の切り札がある。原子力発電だ。原子力発電は温暖化ガスを排出しない(ある意味)クリーンな発電方法だが、出力の調整が容易ではない。

つまり、昼の電力需要に合わせて原子力発電で発電してしまうと、夜に大量の電力が余ってしまう。ただ、水素の需要があるのであれば、こうした余った電力を水素に変えてしまうことができる。

どのみち捨ててしまう電力であれば、それを水素に変えてしまうのは悪い話ではない。たぶん、多少効率が悪くても気にしなくてよいだろう。

老朽化した原子力発電所でも全て最大出力で稼働させれば、かなりの量の水素を生産できるだろうし、日本が輸出した水素自動車のために、日本の原発で量産した水素も輸出できるようになるかもしれない。

「日本がその身を犠牲にして世界を救う」というのは、鉄腕アトムの最終回みたいで何だかカッコイイ気もしないでもないが、それはそれでいいのかな?とちょっと不安にはなる…

未来のエネルギーは?

おそらく、最終的な未来のエネルギーは太陽光発電に落ち着くのではないか?と思っている。太陽光発電というと、天気に左右されたり、高コストであったり、といった印象が強いかもしれないが、こうした問題は時間と共に解決される問題だ。将来的には、いずれ太陽光発電の効率もアップし、価格もどんどん安くなる。バッテリーのコストなどもどんどん安くなるだろう。

太陽光は結局「天然の核融合炉から光によって全ての人類に等しくエネルギーを伝送するシステム」であって、これ以上クリーンなシステムはない。

近い未来はともかく、おそらくエネルギー問題の最終的なゴールはそこにあるだろうと思っている。あとはそこにどう辿り着くか?ということになるだろう。

電気自動車と長距離輸送の問題

おそらく、電気自動車にとっての次の課題は長距離輸送ということになるだろうと思う。

トラックやバスを長距離走らせようとすれば、当然大量のバッテリーが必要となる。電気自動車の場合は、運動エネルギーを電気エネルギーとして回生できる回生ブレーキを持っているため、車重の増大はそれほど大きな問題にはならないが、いままでのガソリン車・ディーゼル車のように長い距離を一気に走ろうとすれば、かなりの量のバッテリーが必要になる。

しかし、そんなに大量のバッテリーを載せれば、当然車両価格も上がってしまうし、普及に時間がかかってしまう。だとすれば、次に有効な手段はシリーズハイブリッド車なのではないかと思っている。

つまり、エンジンで発電した電力を使うのだ。もちろん、ある程度のバッテリーは搭載する。例えば、高速を2時間くらいは走れるくらいのバッテリーは搭載する。そうすれば、基本的には2時間の休憩毎にバッテリーの充電をする、といった走り方をすることで、かなりのエネルギー消費をバッテリーでカバーできる。

また、発電用に特化したエンジンは段々と高効率になってきている。例えば、日産の STARC という技術では最高効率が 50% ほどになると言っている。

こうした技術を組み合わせるだけでも、かなりの高燃費のバス・トラックが出来上がるはずだ。

しかも、大型車だからと言って、普通自動車と異なるエンジンをゼロから開発する必要はない。発電用なのだから、普通自動車用のエンジンを何台も積んでしまえばよい。そうすることで、いままでならば車種ごとに異なるエンジンの設計でかかっていた多額の開発費を節約することができる

日産ならば、ノート e-power やリーフのパーツをバラして、何台分か組み合わせれば、あっという間にバスやらトラックやらを駆動する仕組みが作れてしまうのではないだろうか?

リーフ e+ であれば 62kwh のバッテリーを搭載しているが、このバッテリーを 5台分組み合わせれば 310kwh になる。大型車であっても、この 310kwh のバッテリーで2時間くらいは走れるだろう。あとの足りない電力は発電用のエンジンで補えばよい。

高速道路での走行ならば、2時間走って SA/PA で休憩を取り、その間に充電するようにすれば、おそらく大部分のエネルギー消費をバッテリーで賄うことができる。経済的にも、ガソリンや軽油を使うよりもかなり節約になる。

ただ、電気を水素に変えてから、もう一度燃料電池で電気に戻す…というのをやると、そこで電気エネルギーの半分以上は無駄になる。つまり、単純計算でも燃料費は2倍以上になる。水素ステーションなどの整備費用などを考えると、最低でも電気の場合の3倍くらいは取らないと元は取れないのではないだろうか。つまり、電気自動車に比べると、燃料費は3倍くらいになってしまう。

もちろん、エンジンを補助の動力源として搭載する場合は、完全な脱炭素は実現できないが、もしエンジンの稼働を極力抑えるような運用をして、8割・9割のエネルギーをクリーンエネルギーで賄うことができれば、脱炭素だけでなく、運用時の燃料費の削減も同時に実現できる。十分及第点ではないだろうか。

もちろん、原子力発電のような安価な電力でドカンと水素を生産してしまい、それで燃料電池車を走らせる…というのも悪くはないが、普段使う分にも足りていない自然エネルギーをエネルギー効率の悪い燃料電池車に投入して「究極のエコカー」ができました…というのはどうなんだろうと思っている。そうやって自然エネルギーを無駄に使ってしまい、足りなくなった電力を火力発電で補いましょう、というのはエコなのか?

北欧の国のように水力発電で電気が余ってしまって、使いみちに困っている…という国ならまだしも、火力発電がバリバリ動いているこの日本で敢えて無駄の多い水素という政策が出てきたのは、おそらく原子力発電との絡みではないかと思っているが、勘ぐりすぎだろうか…

実際、太陽光発電とバッテリーが本当に安価になってしまったら、おそらく電力会社の果たす役割というのは、いまよりもずっと小さくなってしまうだろう。電力会社から電気を買わなくても、電気エネルギーは全て自給自足できてしまう。電力会社にしてみたら、イーロン・マスクのような存在はあまり面白くないだろう…

「革新」は既存技術の地味な組み合わせから

最近よく思うのは、本当のイノベーションというのは、実はバリバリの最新技術から生まれる…というよりも、さまざまな既存技術の地味な組み合わせから生まれてくるのではないか?と思っている。

Google の検索の仕組みにしても、iPhone にしても、要素技術としてはそれらが生まれる前に既にそこにあったものばかりだ。それらを生み出したのは幅広い既存技術への理解と、そうした技術を実社会のニーズに沿って組み合わせて、現実化しようとする大胆な行動力(エンジニアリング力?)ではないか?と思っている。

日本で要素技術ばかりが進歩して、事業的に成功するものが少ないのは、先端技術にとらわれ過ぎて、ニーズとのマッチがおろそかになっているせいではないかと思っている。つまり、「最先端の技術ができました。これをどう事業化しましょうか?」という順序ではなく、ニーズから考える必要があるのだ。

イーロン・マスクが何かの事業を起こそうという場合は、「自社でこんな最先端技術ができました、どう事業化しようか?」という風には、おそらく考えない。「温暖化を防ぐためには、どう技術を組み合わせればよいか?」みたいな順序で考えているのだろうと思う。

そして、彼の頭の中にはさまざまな技術の大雑把なマップがあり、そこから必要な知識を引っ張り出す。そして、必要があれば、更に細部の知識を探し出す。そして、もっと専門的な知識が必要な場合は専門家に任す。おそらく、そんな順序で物事を考えているはずだ。

「日本独自の技術で…」とか「最先端の技術で…」といった言葉は非常に甘く甘美なキーワードだが、日本の将来を引っ張る偉い人たちには、そんな甘い言葉に引きずれられずに冷静に現実を見据えてもらえたらと思う。

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