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生産しない人に価値はないのか?

企業に勤めていた頃は、いつも「生産性」という言葉が頭の中にあったように思います。長いこと会社勤めをしているうちに、「生産性が高いことは良いこと、生産性が低いことは悪いこと」…そんな考え方が染み付いてしまいました。

しかし、改めて考えてみると、実は経済的な観点からは実は何も生産しような人が世の中では結構重要な役割を果たしているのではないか?と、最近段々と思うようになってきました。

実は何も生産しない人、消費するだけの人が、日本という国の強さを生み出しているのではないか?という風に考えるようになった…ということです。

日本というと、少し前までは先進的な技術で世界をリードして、優れた自動車や電気製品を海外に輸出する国…そんなイメージがあったのですが、実は日本の本来の姿はそうじゃない…ということを最近強く思うようになりました。

上は itmedia の記事なのですが、実際にデータで日本の姿を見てみると、日本の実体は輸出型の経済というよりは、内需型の経済であることがわかります。つまり、日本という国は消費が8割、輸出が2割…みたいな国だったということです。

ということは、国内の消費が減れば、当然日本の経済は大きく冷え込むし、国内の消費が増えれば、日本の経済はドンドンと活気づくだろう…ということは予測できます。もちろん、優れた日本の技術で海外との競争に競り勝つことができれば、日本の輸出産業も大きくなって、経済に貢献することができるかもしれないのですが、それは言うほどたやすくはないでしょう。

だとすると、最も単純に日本の経済を活気づけるには、消費を増やすこと…それが最もシンプルな解のように思えます。

どうやって消費を増やすか?

では、どうやって消費を増やせばいいのでしょうか?最も単純には、「人口を増やすこと」が考えられるでしょう。人口が2倍になれば、消費も2倍…という訳です。ただ、出生率を引き上げる…というのは、それほど簡単ではありません。もちろん、それが最良の方法ではあるだろうと思うのですが、日本にはさまざまな構造的な問題があります。また、時間もかかります。

では、どうするのか?と言えば、次に単純な解としては「お金を使える人に使ってもらう」という方法があります。別に、子供でなくても、大人でも老人でも、使える人にお金を使ってもらえば、その分消費が増えます。ご飯を食べて、ウンコしているだけの人でも、そういう人が増えることで、その分日本の経済は大きくなります。

コンビニで一番安いサンドイッチで我慢する代わりに、ちょっとおいしいサンドイッチを食べるだけでも、消費は増えますし、昼ゴハンにちょっとスイーツを付けるだけでも、消費は増えます(体重も…)。

でも、いままでの日本の政策は、どちらかというとそうした普通の人の生活をより貧しくする方向に動いてきたように思います。消費税や社会保険料が増えることで、使えるお金がドンドンと減って行く一方で、賃金は上がらない…そんなことが起こっていました。

無論、負担が増えても収入が増えれば問題ない訳ですが、実際には日本の賃金はここ数十年増加していません。なぜそんなことが起こるのか?

いろいろと理由は考えられるかもしれませんが、よくよく考えてみると、これも実は自然なことのように思えます。なぜならば、いままで食費に7万円使っていた家庭が6万円しか使えなくなれば、その分国内の消費が減ってしまうからです。

消費が減れば、経済は冷え込んで、企業の業績が悪くなります。企業の業績が悪くなれば、国内企業への投資なども自然に減ってしまい、結局国内で回るお金は少なくなります。

本質的に、日本は内需型の経済であったのに「庶民に我慢をさせる政策」を強く取ってきたために、国内経済がシュリンクしてしまい、結果的に国内企業も弱くなってしまいました。

生産性の低い人、生産をしない人、そんな人には少し我慢をしてもらって、もっと賢い人にお金を回せば、日本は良くなるはずですよ…そんな風に言われてきた訳ですが、実際のところはそんなミラクルは起こらず、結果的には単に国内の消費が減って、日本の企業が弱くなるだけだった…というのが本当のところなのだろうと思います。

老人だろうと、ニートだろうと、生きている人には、ちゃんとご飯を食べてもらって、ハッピーに生きてもらうことで、結果的に日本の経済が足元からしっかり回る…そんな風に思っています。

一億総中流

その昔、昭和の頃には「一億総中流」などという言葉がありましたが、実は日本の成功パターンはそこにあったのではないかと思っています。

まずは、普通の人がちゃんとお金を使い、そこそこハッピーに暮らす。次に、国内でお金が使われることで、国内企業にもお金が回るようになり、技術水準が上がる。そして、そこそこハッピーで真面目な人たちが製品を作ると、それはよい製品になり、海外でもよく売れるようになった…そういう成功パターンがあったはずなのですが、いつの間にかそうした成功の原点にあったものを忘れてしまいました。

そして、どんどんと「内需」を削り取るような政策が次々に取られるようになり、それが結果的に内部から日本を弱らせることに繋がりました。

バブルの頃には「Japan as No.1」みたいな言葉がもてはやされ、先端技術を誇る国としての日本がクローズアップされた訳ですが、そうした「技術立国としての日本」を生み出したものは何だったか?と考えてみると、その原点には普通の人がハッピーに暮らす「一億総中流」みたいな時代があり、その強い国内消費が強い国内企業を育てる強力なバックボーンになっていた…ということが言えるのではないかと思っています。

つまり、いままでの日本の政策は、できあがった「果実」ばかりに気を取られ、その果実を実らせた「土」のことを忘れてきた訳ですが、本当はもっとちゃんと良い土を作らなければ、美味しい果実は実らない…ということを思い出すべきなのだろうと思います。

賢い人は世界を救うか?

Google, Amazon, Facebook, Apple みたいな海外の企業を見ていると、賢いリーダーが彗星のように現れて、世界を救ってくれる、あるいは経済を良くしてくれる…ような気もしますが、残念ながらまだ日本ではそうした救世主を生み出すような文化は生まれてきていないように思います。

こうしたリーダーが現れるには、社会においておそらく幾つかの条件が必要になるのではないか?と思っているのですが、日本の場合はまだ社会的にこうした条件を満たす段階には至っていないように思います。

■ 優れた技術の目利きができるベンチャーキャピタルの存在
■ 失敗や間違いを許容できる心理的安全性
■ チャレンジに価値を見出す精神性

米国などの場合では、ベンチャーを成功させたお金持ちが既に沢山いて、そうした人たちが後に続く人たちにお金と同時にアドバイスを与えつつ、ベンチャーを成功に導くようなことが起こっています。

しかし、振り返って日本を見てみると、日本ではまだそれほど多くそうしたことは起こっていないようですし、いままではベンチャー企業の数もそれほど多くはなかったように思います。

また、日本人の感性として、ベンチャーに何度もトライして失敗しているオタクや奇人変人よりは、大企業に長く勤める真面目な会社員の方が、世間的に高く評価されているように思います。また、そうした生き方の方が断然安全です。

そういう意味では、少なくとも現在の日本において、未来のスティーブ・ジョブズやジェフ・ベゾスが登場するのを期待するのは少しタイミングが早く、世の中が変わるまでにもう少し時間がかかるのではないか?というのが個人的な見解です。

いまベンチャーで頑張っている人たちが成功したり、失敗したりして、経験値を積んで、それを次の世代にフィードバックできるくらいの時間が経てば、その中から更にスーパースターが現れるようなことがあるかもしれませんが、それにはまだ時間がかかるのではないか?ということです。

米国も日本と同じく内需型の経済ではあるのですが、日本からスーパースターが現れて、実質的に日本の経済を救うほどになるにはもう少し時間がかかるかもしれない…というのが私の個人的な見解です。

POWER TO THE PEOPLE

いままでの日本は、普通の人が少しずつ我慢して、いわゆる「賢い人」に力を預けることで、もっと良くなるのではないか?という思いがあったように感じるのですが、例えば最近のコロナでも一番力を発揮したのは、実は末端の病院で頑張り続ける現場の医師や看護師の方々だったり、マスクの着用や手洗いの励行を真面目に続けるいわゆる普通の人だったように思います。

つまり、日本の強さというのは、実は現場にいる民度の高い「普通の人」にあるのではないかと思っています。

だとすると、やはり経済政策においても「上の賢い人たちに任せる」という戦略よりも、「下の経済から良くしていく」といった戦略の方がよりうまくいくような気がするのですが、皆さんはどう思いますか?


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