黄色は扉だった。

前回の続き。
黄色の示唆に導かれ、
駅併設のショッピングモールに出かけた。
私は鬱屈した気分だった。
心が重い。
外科医になるには—しなければいけないと。
自分に言い聞かせた。
今という時間は自分の自由な時間だ。
今考えても何の意味もないし無益だ。
忘れて今を楽しむことが1番なんだと。
しかし、
気が晴れない。
そっちに向かおうとしているが、
どうも気は重いまま。
景色は変わらない。

景色が変わったのはふとした思いつきからだった。
自分に感謝してないのではないか??
自分を休ませなくては。
ぼーっとしてみる。
ぼーっとしてみると、
自分が狭い世界にいることに気付かされた。
なんでこんなに自分の縛りを相手にしているんだろう。。
家帰ったらあの本を読まないと、
いまはしっかりしていないといけない、
真面目にやってミスしちゃいけないのだ、
と。
自分のルール、約束に縛られ苦しくなっていた。
その頭の条件付けにぼーっとした意識をあてて
解いてみる。。。
忘却。
とたん、頭に新鮮な気が流れる。
景色は途端潤いを帯びだす。。。
僕は新しさを思い出したのだった。
通りゆく女性に対してかわいいと思う余裕ができた。
クリスマスの商品に関心が持てた。
ようやく洞窟を抜けた気がした。
そこからは同じことを繰り返すだけだった。
結んだものを解くだけ。
余裕を取り戻した私は、今を生きられるようになった。
ああ。
楽しい。
これだ、これ。
自分への暗示は強烈で、
自分へ良くも悪くも強烈な影響を
及ぼす。
キーワードは自分への感謝。
これが、
暗示からのデプログラミングの鍵だ。

それから家に帰って、
父と愉快に医学のことを話し、
美味しくご飯を食べ、
弟と夢中にゲームをした。
週末の土曜日の夜は長い。
ほんと幸せな1日だった。

心は気になるという形で
何かしらのヒントを、
私たちに与えてくれている。
それを見逃さないこと。
そのためにはまずお家に帰ることだ。
新しくて楽しい今というお家に。

迷子になっている人に届けたいお話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?