映画感想⑪『アンダルシアの犬』
こんチワワ。
短編です。知る人ぞ知る短編カルト映画です。
『アンダルシアの犬』
ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの共同監督作品。美術史初のシュルレアリスム映画としても評価されています。1929年の映画なのでかなり古いですね。白黒で台詞も無いサイレント映画になっています。
この映画、かなり頭を悩ませる仕上がりになっています。
何故なら、プロットが存在しないから。プロットとはストーリーの要約です。普通、映画というものは何かしら重要な出来事があり、それが展開していきオチ、つまり結果へと加速していきます。起承転結的なことですねー、たぶん。
それが『アンダルシアの犬』には全くなくて、急な場面転換や世界観の移行が何の脈絡もなく行われます。これっていうのは、何も自暴自棄になってやっているわけじゃなくて、ダリとブニュエル、2人が「夢の論理」を使って映画を作ったからそうなってるんです。
「夢」。寝ている時見ている夢について思い出してほしいんですけど、夢って脈絡無く場面が変わったり、現実で見たこともないような事象が起こったりしますよね。それを映画にしてやろうって考えたのがこの2人の監督です。で、それっていうのも、単に観客を混乱させてやろうって考えじゃ無くて、映像でシュルレアリスムを表現したかったかららしいです。
マジで見てるこっちは「は????」の連続なんですが、作ってる本人たちは至って真剣に取り組んでるんですよね-。
一応、テーマとして男女の痴情のもつれみたいなのが見え隠れはしています。まぁ、そんなことに気付いても全然意味わかんない仕上がりになってるんですが・・・・・・。「夢の理論」を使って作られた映画なので、考察しても正直意味は無いのですが、これ以上感想を書けないので無理矢理考察していこうと思います。
考察1:男女の痴情のもつれ説
そのままです。さっきも書いたように、テーマとして見え隠れしている物ですね。映画の中でも、1人の女の人が男の人と喧嘩しているようなシーンがあったり、最後はその女性が別の男性と浜辺を歩く姿があったりと男女の恋愛を描いてるように見えます。
喧嘩した女の人(男に追いかけられるシーンがあるので喧嘩の原因は男性側にありか?)がその男性を振り切って別の男と駆け落ちする・・・・・・。というストーリー。
最終的には2人海で射殺されて終わってしまうが、これは心中の比喩でしょうか。所々に見えるショッキングなシーンはそれぞれの心情だったりして。
例えば、この映画で最も有名なシーンである女性の目をカミソリで真っ二つにするシーン。これは男性の独占欲・支配欲の表れであるとも考えられます。男性の手に集まる蟻は、女性から見て男性が汚らしく見える表し。とかね。
全ての謎シーンについては書けませんが、これが考察1の「男女の痴情のもつれ説」です。
考察2:全て女性の妄想説
これはガチの私の考察です。
先ほども言ったように、この映画にはある女性と男性が登場するのですが、その男性は女性の妄想であるとする説です。
映画の中で、事故で死んでいる人を女性が見るシーン、人が事故に遭う瞬間を女性と男性が見るシーンがあります。ここで、男性は不気味な笑みを浮かべ、女性を追いかけます。
私がここで考えたのは、「女性は死を見ることに興奮をしてしまう人種」であり、「男性はその女性が自分の感情に恐れを抱いて作った別人格」という解釈。
女性は死を見て興奮するような感情を殺したいが、感情自体がそれを拒み別の人格として目の前に表れたということです。何を言っているのか自分でも分かりませんがなんとかして読み取ってください。
男性が一人で床を盛り上げ、知らない男を二人引っ張ったり、グランドピアノの上に牛の死骸が乗っていたりするシーンがあり、これは女性がこれまで見た「死」だと考えています。
最後、女性は別の男性と浜辺を歩きますが、これは「新たな被害者」説。ここだけは女性の妄想ではなく現実に戻ります。女性は「死に興奮する感情」を振り切ったのではなく、反対に受け入れ「死を見せてくる新しい被害者」を浜辺で見つけたんですね。
はい。これが考察2の「妄想説」です。
ん~~~~~????もう何を書いてるか分からなくなってきた。混乱錯乱毛利蘭。
そもそも「アンダルシア」って何だよ~~~~~~~~~~~~。
アンダルシア州 ( Andalucía )は、 スペイン を構成する 自治州 の一つである。(Wikipediaより)
へぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。
次で最後です。
考察3:全て意味ない説
正解!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
終わり!!!!!!!!!!!!!!!!!!
すみません、取り乱しました。
「夢の理論」を使って作られたシュルレアリスム映画なので、考察をしてもその全てどれもに意味が無いということ。そもそも意味やストーリーを考えて作られていない。
それだけ皆が納得いく考察ができても意味が無い。ダリとブニュエルに笑われるだけ。
実際これだと思います。なんなら2人が見た夢を断片的に繋ぎ合わせてるだけかもしれないし。
俺等は監督に掌の上で転がされてるだけなんだよなぁ・・・・・・。
めんどくさくなったので終わり
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