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街風 episode 13.3 〜はじめの一歩〜

 ここ最近はマナミさんの元気が無い。いや、元気が無いというのは嘘になるか。いつも常に明るくて自然体の彼女が時折見せるしょんぼりとした表情が気になっている。マナミさんがこのお店で働き始めてから半年以上が経つ。マナミさんがお店で働き始めてから、僕は少しずつ自分の凍った心が溶けている気がしている。今までは笑ったり楽しい出来事がある度に、カナエの顔がよぎっては戻れない過去に縋りたくなっていたが、マナミさんと話しているとそんな自分が少しずつ居なくなっているのが分かった。たぶん、僕はマナミさんの事が好きになりつつあるのだろう。でも、それはカナエを裏切る行為だと思うし、何よりもカナエの事を忘れそうで怖かった。ただ、目の前のマナミさんが少し元気が無いのも気になったので、気晴らしになればと思い、散歩に誘ってみた。マナミさんは二つ返事でOKしてくれたので、集合時間と解散時間だけを約束して当日を迎えた。

 当日。朝早くの街は肌寒かったけれど、歩くにはちょうど良い気候だった。集合場所に早く着きすぎてしまったので、通り行く人々を眺めながらぼーっと待っていた。その時、ここ最近の出来事を思い出していた。久しぶりに会えたカズさんとの会話、店先で聞こえたカナエの声、そしてマナミさんとの出会い。カナエの声はもう二度と聞こえるはずがないのに、あの日に言われた言葉はずっと心に残っている。もしもあれがカナエの声だとしたら、やっぱりそろそろ過去から進むべきなのかもしれない。そう考え始めると、今日の散歩コースを少し変更したくなった。マナミさんの気分転換だけでなく自分も気分転換できるコースへ変更しよう。

 マナミさんは待ち合わせ時間の10分前にやってきた。遅刻しているわけではないのに、僕を見つけると小走りで駆けてきてくれた。普段の仕事の時よりもナチュラルなメイクと着飾らない格好のマナミさんは素敵だった。こういう飾らない美しいところもマナミさんの良いところだ。マナミさんに今日の予定を教えないまま、僕たちは歩き始めた。

 こうやって女性と2人で歩くのは久しぶりだ。カナエの事をついつい思い出しそうになるけれど、今日だけはカナエではなく隣にいるマナミさんと楽しい時間を過ごせるようにしよう。やはり歩いていると心地良く、マナミさんとの会話も楽しい。以前からも感じていたが、マナミさんとだと沈黙の時間が続いても苦にならない。それはきっとマナミさんの持つ優しい温かい雰囲気のおかげなんだと思う。

 「ここだよ。」

 僕たちは最初の目的地へ到着した。街の外れにある幹線道路沿いの祠。ここに来たのは、カナエの葬式の日以来だった。どんなに街が変わろうと発展しようと、この祠と周りの空気だけはずっと昔から変わらない。ここには恋愛の女神がいるらしい、付き合い始めた頃にカナエに連れられて初めてここへやってきた。それから、たまに散歩デートをする時には必ずここにお参りをしていた。でも、僕とカナエの願いは叶う事がなかった。最後に来た日、僕はこの祠の前で八つ当たりに近い暴言を女神様へしてしまった。だから、それ以来後ろめたさもあってここへ来れていなかったのかもしれない。

 マナミさんは手を合わせてお願いをした。終わると、こちらを振り返って僕もお願いをしないのかと尋ねられたが、もう神様でも叶う事のできないお願いしかない自分は必要無いと思ったので、僕はお願いをせずに2人でその場を後にした。罰当たりな僕に神様も呆れていることだろう、もう少し気持ちが落ち着いたら今度1人で来て、女神様に謝ろう。

 幹線道路沿いを再び歩き始めて少し経った頃には朝食の時間に丁度良い頃となっていた。モーニングセットに定評のある海沿いのカフェで朝食を取ることにした。パンケーキを美味しそうに頬張るマナミさんは幸せそうだ。少しでも気晴らしになっていれば嬉しい。

 カフェを出て、またしばらくのんびりと歩いた。ただこうやって歩いているだけなのに、マナミさんが隣にいるだけで十分楽しかった。道中に面白いお店や道端の綺麗な花を見つける度に、笑顔で僕に共有してくれる姿も可愛い。マナミさんは自分で幸せになれる方法を知っている人だった。僕が1人で歩いていたら気にも留めずにスルーするような事も、マナミさんが見ると全てが面白いものになるようだった。僕もマナミさんのフィルター越しに見る世界を体験してみたいと思う。

 お昼時になったが、僕は特にランチのお店を決めていなかったので、マナミさんのリクエストを聞いてみることにした。すると、マナミさんの行きつけのサンドウィッチを提案された。それは、すなわちノリのお店ということだ。マナミさんに、ノリと僕の関係が気づかれないかと一瞬不安になった。マナミさんがそんな僕を見て別のメニューを提案してきたので、僕は申し訳ないことをしたと思い、ノリのお店へ行くことに決めた。ノリのお店へ向かっている途中で、ノリのことやサンドウィッチについて熱く語っているマナミさんがとても印象的だった、まるで自分の好きなヒーローやマンガについて熱く語る子供みたいだった。

 ノリのお店に着き、マナミさんがドアを開けた。店内には他のお客さんは誰もいないようだった。ノリに会うのはカズさん達と4人で飲みに行った以来か、でもノリのお店で会うのはもっと久しぶりだった。2人を出迎えてくれたノリは、マナミちゃんへ笑顔を向けた後に僕を見て大層驚いた表情をした。でも、マナミさんに気付かれないように一瞬で笑顔に戻って、席へ座るように言ってくれた。先程まで団体客が来ていたようでテーブル席には食べ終えた食器が乗っていた。僕たちはカウンター席に座って、マナミさんオススメのサンドウィッチを待つことにした。マナミさんがお手洗いに行こうと席を立ち上がると、僕とノリは“はぁー”と息をついた。

 「おいおい、どういうことだよ。まさか2人で来るなんて、もう俺たちの関係は打ち明けたのか。」

 ノリはサンドウィッチを作りながら僕に聞いてきた。

 「いや、まだ何も言ってない。昼食に何を食べたいかリクエストを聞いたら、ここを指定されたんだ。まさかここへ僕を連れてくるなんて想像もしてなかったよ。」

 「たしかに、マナミちゃんがここへ誰かを連れてきたのって今までも1人だけだったもんなあ。でも、ダイスケもマナミちゃんの気持ちに気付いてるんだろう。」

 「マナミさんの気持ちって言っても何も抱かれていないよ。ただの花屋の主人と従業員。でも、マナミさんは素敵な人だと思う。」

 「じゃあ、そろそろ全部打ち明けてもいいんじゃないのか。やっぱりそこを乗り越えないとダメだろう。カズさんとも話したし、マナミちゃんに打ち明けて、もう前を向くって決めたんじゃないのか。」

 「まだ決まってないよ。もう少し考える。」

 マナミさんが戻ってきた。会話の全ては聞かれていなかったみたいだったが、最後だけ聞かれていたみたいで、ノリと何を話していたのか詮索された。ノリと2人ではぐらかすと、マナミさんは不貞腐れてしまった。マナミさんに申し訳ないと思って、話そうか話さまいか悩んでいるとマナミさんとの間に沈黙の時間が漂ってしまった。

 そこへノリがタイミング良くサンドウィッチを持ってきてくれたので、気を取り直して2人でサンドウィッチを堪能した。この間マナミさんがお店へ持って帰ってくれたサンドウィッチは遠い過去の日と同じものだったが、今日食べたサンドウィッチは今のノリが作った最高のサンドウィッチだった。ノリをはじめ、ケイタも母校で教師を頑張っているし、カズさんも昔と変わらず常に仕事を頑張っている、あの日から何も変われずに過ぎていく時間に取り残されているのは僕とカナエだけなのかもしれない。カナエだって天国で楽しんでいるかもしれないと思うと、この世界で僕だけが1人取り残されている気がした。食後のコーヒーを楽しみながら、目の前にいるマナミさんを眺めていると、そろそろ自分も過去と決別するべきだと思い始めた。

 僕たちはノリのお店を出て、またぶらぶらと歩き始めた。一歩ずつマナミさんと歩く自分は、未来へと歩き進んでいる気がした。

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