街風 episode.18.3 〜氷解〜

 「久しぶりだね。」

 マナミさんに選んでもらった花を持って、カナエの墓参りへ来た。あの日からどんな事があろうと週一回は必ずここへ来ると決めている。いつもの場所で寝転がっているタマを優しく撫でてカナエのお墓へ向かった。

 誰かが挿した花は萎れていたので、持ってきた花に挿し替えて、汲んだ水を墓石と花へかけて辺りを少し掃除してから両手を合わせた。

 あの日から僕の時計は止まったままだった。いや、止まったというよりかは自らの手で止めているだけかもしれない。今の僕はカナエのいない世界のスピードに追いついていない、というよりもカナエを置いて周りと一緒に先へ行くことができないだけなのだろう。もしも、僕が周りと共に一緒にこの先の未来を生きていけばいくほど、カナエとの時間が少しずつ薄れていってしまうのではないのかと恐れている。人というものは否が応でも記憶が少しずつ削れていく。今まで生きてきた全ての感情や出来事を記憶したまま生きていくには脳と心のキャパシティが足りないみたいだ。だから、僕はカナエを失ってからの日々を敢えて無味乾燥に過ごすことでカナエとの日々を記憶から掻き消さないようにしていた。

 閉じていた目を開けて、合わせていた手を解くと、頬を掠めるように風が優しく吹き抜けた。僕は思い出したようにポケットから紙切れを取り出した。

 その紙には、あの日からすくすくと育っているエリちゃんの文字が書かれている。先日、カズさんから渡されたものだ。エリちゃんが授業のスピーチで「感謝」をテーマに書いた原稿だった。そこには、あの日に身代わりになったカナエへの感謝の気持ちが綴られていた。そして、僕がエリちゃんの元へ訪れたことも書いてあった。自分でも遠い昔の出来事でうろ覚えだったのに、エリちゃんは数年経った今でもしっかりと覚えてくれていたらしい。そして、そこに書いてあった僕がエリちゃんへ投げかえた言葉が今の自分へ鋭いブーメランとなって突き刺さった。

 「カナエ、俺はエリちゃんに偉そうな事言ってたんだね。」

 僕は苦笑いしながらカナエの墓を見た。今と未来を創るのは今を生きている僕たちだけしかできないのに、僕はそんな贅沢な権利を放棄してこうやってカナエとの日々の中を生きているだけだ。ケイタもノリもカズさんもカナエとの思い出を忘れずに今を生きているのに、僕だけはあの日から何も変わっていない。いや、少しずつ変わってはいるかもしれない。

 マナミさんが僕の元へ舞い降りた事はここ最近では大きな変化だった。いつも通り店に立っていると一人の女性が花を見ていた。よく見ると頬には一筋の涙が伝っていた。マナミさんは花を眺めているだけでも息を飲むような美しさだった。普段の僕なら泣いている女性を見かけても黙って様子を伺うことしかしなかっただろうけど、あの時は僕の背中を優しくでも力強く風が吹いて、少しつんのめる形で僕はマナミさんの傍へと歩いていた。そして、ギクシャクしながらマナミさんへ声を掛けた。そこから何故かマナミさんは僕の店で働くことになり、マナミさんの周りにはお客さんも集まり、笑顔も増えていった。最初はマナミさんの給料をしっかりと払えるか内心ビクビクしていたけれど、マナミさんが来てからは、常連客も少しずつ増えて売上も右肩上がりで順調な毎日だ。

 そして、マナミさんが来てからは僕の周りの環境も少しずつ変わっていた。カズさんが数年ぶりにこちらへ顔を出したり、マナミさんと一緒に出掛けたり、こうやってエリちゃんの近況を知ることができたり、少しずつ心の氷が溶けているのかもしれない。でも、僕はその変化が怖い。マナミさんが僕の事を嫌っていない事は気づいている。僕だってマナミさんが好きだ。でも、マナミさんへの気持ちが高まるほどにカナエへの罪悪感は募っていくばかりだ。一生を添い遂げると誓ったカナエを置いて、僕が他の誰かとこれから先の未来を共に生きていくことはできない。こうして定期的にここを訪れてカナエとの日々を回想して生きていくことがカナエへの唯一できる愛情表現だと信じている。

 「じゃあ、そろそろ行くね。」

 僕はカナエにそう言うと墓を後にした。僕が帰る時もタマは定位置でゴロゴロとしていた。そんなタマを撫でている人がいる。僕の気配に気づくとこちらを振り返りじっと見られた。サラサラとした黒髪に凛とした顔立ちのその人は僕を一瞥すると、くるりとタマの方へと向き直り再びタマを撫でていた。僕は少し不思議だったけれど、何度思い返してもその女性と出会った事はなかった。もしかすると、お店に来たお客さんかもしれないけれど、僕の印象にはそれほど残っていなかったのかもしれない。

 お寺を出てお店へと向かうまでの長い下り坂を歩いていると高校生カップルが歩いている。2人とも自転車を押してゆっくりと2人の時間を楽しく過ごしているようだった。

 お店に着いて開店準備をしていると、マナミさんがやってきた。いつものルーティーンを済ませて、開店までの時間を店内でまったりと過ごしていた。

 「昨日は花を選んでくれてありがとう。」

 僕はマナミさんへ言った。

 「どういたしまして。渡した相手の方は気に入ってくれましたか?」

 マナミさんは興味津々に聞いてきた。

 「気に入ってくれたと思うよ。喜んでたよ。」

 僕は他の女性に選んでもらった花を喜ぶのかと今更ながら疑問に思いつつもマナミさんへは適当に返事をした。

 「お相手は恋人ですか。」

 今度は恐る恐る聞いてきた。マナミさんの目はまるで未知の生物を初めて見た子供のように少し潤んでいたようだった。

 「違うよ。でも、大切な人。」

 自分でも驚いた。思わず、カナエを恋人ではないと言ってしまった。確かに今は正式に付き合っているわけではない。それでも僕はカナエと一生を添い遂げるつもりなのに、どうしてあんな言葉が出てしまったのだろうか。心の中で自分を責めた。

 「そっか。あ、そろそろお店開きますね。」

 マナミさんは雨雲の隙間から挿した太陽のようにパッと笑顔になって軽く鼻歌混じりでドアにかかった札をOPENへとひっくり返した。

 どうやら、この間のマナミさんとのデートから自分も少しずつ未来へと一歩を踏み出してしまっているらしい。とりあえず、今から閉店まではマナミさんとお店を回すことだけに専念しよう。


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