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街風 episode.12 〜僕は猫である〜

 「今日もいい天気ね。ねこちゃん。」

 境内のお気に入りのスペースに寝転がっていると、いつも同じ時間にここにやってきて声を掛けてくれるのは、旦那さんのお墓参りに毎日かかさずやってくるタエさんだ。人間というものは不思議なことをしている。亡くなった人を黒くて冷たい石の下に埋めているらしい。石には誰かがイタズラで彫ったであろうグニャグニャ文字が書かれている。タエさんのように毎日ここに通っている人もいれば年に2回くらいしか来ない人もいる。みんな来るたびに花を添えて手を合わせている。

 「おはよー、タマ!」

 おはようという時間でもないけれど、いつも元気良く挨拶をしてくれるのは、僕を最初に拾ってくれた家族のカナエだ。カナエもこのお寺にお墓があって静かに眠っている...はずだが、いつも半透明な姿で現れては僕と一緒にのんびりしたり散歩したり楽しく過ごしている。

 「カナエちゃんは今日も元気だね。」

 欠伸をしながら、カナエちゃんに挨拶をした。カナエちゃんは、僕の顎を優しく撫でてくれたので、嬉しさのあまり喉の奥からゴロゴロと大きな喜びの音が溢れてしまう。半透明なカナエちゃんの細い手は温かくて柔らかい。ますます人間というものが不思議でならない。どうして半透明なのにこんなにも暖かいし感触もハッキリと分かるんだろう。まあ、僕を撫でてくれるならそれでいいんだけれど。

 「そういえば、カナエちゃんはどうしていつもここに来ているの?カナエちゃんは毎日誰かを待っているの?」

 僕はゴロゴロと喉を鳴らしたまま、カナエちゃんに何気なく聞いてみた。カナエちゃんは手を止めることなく、僕に話をしてくれた。

 「”待っている”というよりは”見送る”ために毎日ここにいるって言葉が正しいかな。私のことを未だに想ってくれる人がいるから、私はまだまだこの世から離れられないみたい。」

 カナエちゃんはそう言いながらニコッと笑った。

 「それって幸せなことだね。誰かにずっと想ってもらえるなんて。カナエちゃんは愛されているんだね。」

 僕が目を細めながらカナエちゃんにそう言うと、カナエちゃんは少し寂しそうな顔をして遠くを見つめた。

 「いなくなった人を想うのは悪いことではないけれど、囚われ続けているのは悪いことだよ。いつまでも彼の中の時計の針は動かないもの。」

 カナエちゃんは僕を撫でてくれた手を止めると、ヨシッと小声で言って立ち上がった。そのままバイバイ、またね、と手を振りながらどこかへ行ってしまった。もう少しだけ撫でてほしかったーと思ったけれど、大きく欠伸をしてからまたゴロゴロとすることにした。

 僕はカナエちゃんに拾われてから、ここのお寺に引き取ってもらって自由にのびのびと幸せな毎日を過ごしている。住職さんはお腹が減るといつも美味しい食事を出してくれるし、自由奔放な僕を許してくれる優しい人だ。

 境内でゴロゴロしていると、お寺へやってくる人が僕に構ってくれることがある。僕は撫でられるのが大好きなのでいつも喉をゴロゴロと鳴らして喜んでいるのだが、たまにはこちらからも構ってほしいとねだりに行く場合もある。

 僕のお気に入りは亜麻色の髪を靡かせてやって来る女子高生だ。どうしてその子が好きなのかというと、どうやらその子の制服の高校では僕が願いを叶える猫だという噂が流れているらしく願掛けにやってくる子達がとても多い。僕としては撫でられるのは嬉しいことなのだが、その子が自分の願いを叶えるために撫でているだけと思うと少し悲しくなってしまう。そんな中、その亜麻色の髪の子は純粋に僕に構ってくれるので嬉しい。でも、そういえばこの間の朝の散歩の時に、たまたま彼女に会った時があったな。あれはいつもと違うコースを歩いていた時だった。

 「ワタルくんもタマみたいに早起きして学校に来てくれないかなあ。そう思わない?」

 と質問されたので、

 「僕の知ってるワタルなら難しいな。」

 と答えた。でも、僕の言葉が伝わるわけでもないし、僕はすっと立ち上がってそのまま別れた。

 僕はとあるお家のブロック塀の上に座って目の前の通りを歩く人たちを眺めていると、ワタルの姿があった。ワタルの家は僕にとても優しくて、夕飯をご馳走になることが多い。始まりは覚えていないけれど、玄関のドアの前でちょこんと座っていると、部活から帰ってくるワタルが家に招いてくれる。外を歩いているので家の中に上がるのは申し訳ないから、いつも玄関部分でご飯をもらったり構ってもらったりしている。ワタルのお兄ちゃんのケンジも優しくてたまにバイト先から持って帰ってきたサンドウィッチとは別に塩分や油分を洗い流した僕のためのツナとかをくれる。お母さんの夕飯は全部美味しいし優しく撫でてくれる。僕が願いを叶えられる猫ならば絶対にこの家に幸運を沢山届けるのになと思ってる。ちょっと、話が脱線しちゃったけれど、そのワタルが珍しくこんな朝早い時間に登校している。さっきの女の子が言うワタルだったらいいのにな、と思いながら黙ってワタルを見送った。

 そんな日から数週間後。僕はいつも通りお寺の境内で日向ぼっこをしていた。カナエちゃんも僕の隣でしゃがんでずっと撫でてくれた。

 「お兄ちゃん!?」

 カナエちゃんはそう言って驚くように立ち上がった。僕もつられて飛び起きてカナエちゃんの向いている方向へ振り返った。そこには、僕を拾ってくれたカズがいた。数年ぶりの再会だったが間違いなく昔の面影があって、僕とカナエちゃんはカズのほうへ駆けていった。

 「やっぱり、タマじゃないか!久しぶりだなあ!あの頃は弱りきってやせ細ってたのに、今ではこんなにも肉付き良くなっているなんてなあ。よしよし、元気でいてくれて嬉しいよ。カナエもきっと喜んでいるよ。」

 カナエちゃんはすぐそこにいるでしょ!と言ったけれど、カズに僕の言葉が伝わるわけでもなくカナエちゃんの姿も当然見えていない。カナエちゃんは少し寂しそうにカズを見つめていた。カズは手に持っていた花を地面に置くと両手で僕とじゃれ合ってくれた。だらしなくさらけ出したお腹をゆっくりと撫でてくれた。

 カズはカナエちゃんのお墓に向かおうと立ち上がったので、僕とカナエちゃんもカズくんの後を付いていくことにした。珍しくこの時間帯にやってきたタエさんとすれ違いながら、カナエちゃんのお墓へ着いた。

 「カナエ。2年前は来る事ができなくてゴメンな。一つだけお兄ちゃんからの願い事がある。ダイ坊の時計の針を動かしてくれ。安らかに眠っているところ申し訳ないが、これが俺の最初で最後のカナエへのお願いだ。」

 カズはそう思いながらお墓に手を合わせていたらしい。

 「お兄ちゃん。別にいいよ。それよりも私にそんな力は無いよ。ダイスケ君はやっぱり今も時計を止めたままなんだね。」

 カナエちゃんは墓石の上に座って足を組みながら両手をつき、困った顔をしながら笑ってそう答えていた。僕はそのやり取りをカズの隣でずっと眺めていた。カズはお寺から帰ろうとしたので、僕とカナエちゃんもまたその後をついていった。

 僕は先ほどの日向へ戻ってカズに撫でてもらった。

 「タマ、どうかダイ坊の時計の針を動かしてくれないかい?命の恩人からのお願いだぞ。」

 いきなりそんな事を言われたものだから驚いた。その時計の針ってどうやったら動くものなのだろうか、きっと電池を交換して動くものじゃないんだろうな。ちょっと悩んできたので僕は気分転換に散歩をすることにした。出口付近まで歩いていくと、いきなり閃いた。

 「分かった!新しい時計をプレゼントすれば!?」

 僕はカズの方を振り返ってそう伝えた。でも、やっぱりカズに言葉が伝わるわけではないので、僕はそのまま散歩へ出かけて行った。

 緩やかにまっすぐな下り坂の途中にあるお家の入り口で寝転がって休憩していた。すると、ワタルと亜麻色の髪の子が並んで歩いていた。亜麻色の髪の子の名前はカオリっていうらしい。ワタルとカオリは僕に気づくこともなく2人の世界を楽しんでいるみたいだ。僕も邪魔しては悪いと思い、しっぽを振りながら静かに見送った。

 僕は再び歩き出して夕方の散歩コースを歩き始めた。

 それから更に数週間後。

 僕は午後の散歩コースを歩いて、お気に入りのお家へ行くことにした。そこは僕の拠点であるお寺から下り坂をずっと下っていって、大通りをずーっとまっすぐ歩いてから脇の小道を入ったところにあるお家で、本当は正面からお邪魔したいのだけれど、そこに住んでいる柴犬がいつもうるさいので僕は更に細い裏路地からブロック塀を越えて裏から回って遊びに行く。

 路地に入って気配がしたので後ろを振り返ると、カナエちゃんと同じか少し上くらいの子が路地の入り口に立っていた。僕は一度見ただけの人を後日に思い出すのは難しいけれど、二度目に会った時にはすぐに一度目にあった記憶が蘇るという特技がある。後ろを歩いていた子も間違いなく僕が過去にあったことのある子だった。僕の記憶では、たしかこの間はウイスキーとかいうお酒を片手に歩いていた。このお酒って飲み物はあまり好きじゃない。たまにお寺の住職さんも飲んで帰ってくる日があるけれど、いつも顔を赤くしていつも以上に僕にベタベタしてくるので面倒くさい。あの口から出る鼻にツンとくる匂いも苦手であまり良い気はしない。でも、ユウジさんのお店は好きだけどね。

 その子はこちらを見るなり少し驚いたような表情をした。僕も少し驚いた。この間はウイスキーとちょっと寂しそうなオーラを持って歩いていたのに、今日はウイスキーも無ければ明るくパアッとしているオーラが出ている。きっと何か良いことがあったんだろう。お互いに少しだけ見つめ合ってから僕は路地に入ってお家へ向かった。本当はこの子にも構ってもらいたかったけれど、僕のおやつの時間もあったのであきらめてまた振り向いて前を向いて歩き始めた。僕と同じくらいの速さでその子も後ろを歩いてきた。ここの道をずっとまっすぐ行った先に少し開けた海岸がある。そこは人も全然来ないからゴミも置いてないし、とても綺麗な場所でたまに1人でやってくる人たちもいる。景色はとても綺麗で好きなんだけれど、僕の身体中がベタベタするからあまり行かない。

 歩いて暫くするとお気に入りの家の塀が見えてきたので、僕はいつも通り塀に飛び乗ってお家にお邪魔した。お家の裏側から縁側へとスタスタと歩いていく。今日もそこにはこのお家のおばあちゃんが正座して日向ぼっこをしていた。

 「あら、いらっしゃい。」

 おばあちゃんはそう言って僕の分の座布団の上をトントンと叩いて、ここに来るように促してくれた。おばあちゃんの隣にある座布団の上に寝転がると、僕のことを優しく撫でてくれた。温かい手と暖かい陽射しに包まれてうたた寝をしてしまった。

 「ただいまー。」

 おばあちゃんの孫のカズマ君が帰ってきた。僕と会うたびに顔をもみくちゃにしてわしゃわしゃして構ってくれるので大好きだ。今日も僕の顔を見るたびに駆け寄ってくれていっぱい撫でてくれた。おばあちゃんは、カズマ君とあまり会話しないみたいだけれど、僕は2人とも大好きだ。たまに土日にお家に遊びに行くと、おばあちゃんがいつも座っているところに1人で座ってノートに何やら必死に書き込んでいる。おばあちゃんが外出していない時は、2人きりで縁側でまったりと過ごすのが定番だ。でも、カズマ君がノートに書き込んでいる時の集中力は凄まじく、僕が隣の座布団に座っても全く気づかない。だから、毎回構ってくれとアピールするために身体をカズマ君に擦り付ける。僕に気づくと少し撫でてくれるけれど、またすぐにノートに書き込むことに集中してしまうので、僕はさらにかまってアピールをするために胡座をかいた上に広げてるノートの上に寝転がる。そうなるとカズマ君はやれやれと言いながら毎回僕に優しい声で叱った後に、僕を抱っこして座り直させてくれる。そのままカズマ君のひざの上でゴロゴロと喉を鳴らしながら、昼下がりの午後の時間を楽しむ。

 「俺はさ、早くお金を稼ぎたいんだよね。」

 ある日、カズマ君がそう言って僕に語りかけてきたことがあった。

 「両親が離婚してさ、俺はお袋と2人でこの実家に移ってきたんだけどお袋も俺が小さい頃に死んじゃって、ずっとおばあちゃんに育ててもらったんだよね。そんな俺を周りは同情だったり哀れんだ目で見てきたけれど、それが嫌でどんどん荒れていっちゃったんだ。そんな俺でも高校行かせてくれたおばあちゃんには感謝しかないし、卒業したら早く家にお金入れたい。」

 カズマ君曰くノートとペンで成り上がっていくらしい。ヒップホップっていう音楽でラッパーとして活動していきたいらしく、いつもの仲間5人でブドーカンっていう場所を目指すんだって。でも、そこに行ける人は数少ないらしいから、これからもずっと頑張っていかなきゃいけないらしい。そんな凄いところなら僕も一緒に行ってみたいなー。カズマ君が自分の夢を語ったのは先にも後にもその一回だけだった。そして、その夢が現実となるのはまだまだ先のお話。

 そんな事を思い出しながらも僕はおばあちゃんの隣でカズマ君に構ってもらっていた。

 そろそろ太陽も落ちかけてきたので、ワタルの家に行って夕飯でもご馳走になろうかな。そう思いムクッと立ち上がって伸びをしてから、おばあちゃんとカズマに別れを告げて僕は来た道を帰っていった。路地裏の小道には街灯が全くないので一足先に夜が訪れる。そういえば、あのお姉さんはもう帰ったのかしらと気がかりになりながらも来た道をスタスタと歩いていく。大通りに出る頃にはすっかり日も暮れていた。

 ワタルの家で夕飯をご馳走になりお寺へ戻っていくと坂のふもとの交差点辺りでカナエちゃんと遭遇した。

 「カナエちゃん!」

 僕はカナエちゃんに駆け寄って足元に身体を目一杯擦りつけた。カナエちゃんは僕の事を撫でながら下を向くととても寂しそうな表情をしていた。

 「タマ、私ね。今さっきお別れを告げたの。」

 カナエちゃんは自分を想ってくれる相手のところへ行き、

 「もう…貴方の道を進むべきよ…」

 と伝えたらしい。でも、相手に届いているかどうか確認する前に、急に怖くなって顔も見ずにこっちへ戻ってきたみたいで、僕を撫でてくれた手は少し震えていた。

 お互いに好きな人同士で結ばれているのに、時には過去の思い出として昇華しなければいけないなんて、人間はとても大変な生き物だなあ。僕たちネコは人間と違って、生きている時間も短いし毎日を生きるだけで十分楽しんでいる。美味しい食事を食べて、自由気ままに生きているこの生活に満足している。だから、この命を救ってくれたカズやカナエちゃんには少しでも恩返ししたいし幸運を運びたいとずっと思っている。でも、僕にそんな力なんて無いからカナエちゃんと一緒にゴロゴロすることしかできない。それでもカナエちゃんは僕と一緒にゴロゴロする時間を楽しんでくれる。

 夜になり、カナエちゃんとバイバイして、僕はワタルの家に遊びに行く前に寄り道をした。街の外れに近い幹線道路沿いを歩いていると今日もその人はそこにいた。

「あら、今日も来たのね。」

 今まで出会った人とは全く違った出で立ちをしたお姉さんはニンゲンからは“神様”と言われているらしい。でも、ニンゲンからは神様は見えないらしい。それでもみんな神様を信じているから不思議だ。どうして目に見えないのに信じているのだろうか。

 「ふふ、考え事してるの?」

 そう言いながら僕のところに歩み寄ってきて喉を優しく撫でてくれた。優しくて柔らかく温かいその手で撫でてもらうだけで僕は心地良く幸せな気分になる。

 「ねえ、神様って何をしてるの?」

 僕は喉をゴロゴロと鳴らしながら神様に質問した。神様は軽くウェーブがかった髪を揺らしながら僕を見て微笑んだ。

 「私は、恋愛がメインかな。」

 どうやら神様はみんなの恋愛を司っているらしい。この神様にお願いすればどんな人とでも結ばれるのかと思って神様に尋ねてみた。すると、それはできない、とのことだった。神様はなるべく多くの幸せを考えなければいけないらしく、たとえ本人が結ばれたいと強く願っていても世界全体とのバランスを見て判断するらしい。だから、世の中で両想いなのに結ばれない人や片想いが成就しない人は、神様が意地悪をしているわけではなくもっと幸せになる道があるからだそうだ。それでも時にはそのシナリオ通りにいかずに神様も予期せぬ恋愛が結ばれて幸せになることもあるらしい。ニンゲンは、
“運命は変えられる”とよく言うそうだが、実際にそうやって変えられることも往々にしてあるらしい。

 僕は頭を撫でられながら女神の話を聞いていた。そして、突然閃いた。
 
 「ねえ、神様。一つお願い事していい?ニンゲンは神様にお願い事するんでしょ?猫の僕でもお願い事していい?」

 「どんなお願い事かしら?」

 神様は僕を撫でていた手を止めて、僕の方を優しく見つめてきた。

 「あのね、ある人の時計の針を動かしてほしいの。」

 「…時計の針?」

 首を傾げた神様に僕は詳しく話をすることにした。

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