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街風 episode.9.3 〜女神と太陽〜

 「久しぶりなのにごめんね!」

 扉の外からいつもの声がする。ランチのピークが過ぎてノリさんと少しくつろいでいた時にマナミさんが扉を開けて店内に入ってきた。そして、もう一人マナミさんの後ろに人影があった。セミロングのストレートの髪がふわりと揺れたその人は、マナミさんとは違ったタイプの美しい人だった。

 まるで女神と天女だ。神々しすぎて僕には刺激が強い。2人とも後光が差しているのではないかと思うくらいに煌びやかで思わず手を合わせて拝みたくなってしまう。

 「おう、いらっしゃい。」

 ノリさんは誰に対しても緊張せずにいつものトーンで声を掛ける。どうしてマナミさんみたいな女神に対しても天女さんにも普通に接する事ができるのだろうか。僕はすでに緊張しているというのに。

 「お邪魔します!こちらは、私の以前勤めていた会社の同僚のアオイさん!今日は2人で夜に飲みに行くんですけど、どうしてもここのサンドウィッチを食べてもらいたくてお昼も待ち合わせしてここへ来ちゃいました。」

 「はじめまして。アオイです。隣の駅に親戚が住んでいて、こちらの街もたまに来た事もありましたが、こんな素敵なお店があるなんて知りませんでした。」

 マナミさんとアオイさんは眩しいくらいの笑顔でノリさんに話した。アオイさんか、女神と天女が一緒の職場だったら一日中仕事が手につかないだろうな。

 「アオイさんね、よろしく。この店は俺とバイトのケンジの2人で回しているんだ。こじんまりとしているから、遠慮なくゆっくりと寛いでね。まあ、マナミちゃん見ていれば分かると思うから。」

 「ノリさん、それってどういう意味ですか!」

 「ははは、ごめんごめん。とりあえず今から作るから少しだけ待っててね。2人とも同じやつで大丈夫かな?」

 「はい、大丈夫です!」

 ノリさんとマナミさんのやり取りを見て、僕とアオイさんはクスッと笑っていた。ノリさんはサンドウィッチを作りに2人のいるテーブルを去っていった。

 「あ、そうそう、この子がケンジくん。ノリさんにデザート作りまで任されつつある真面目で優しい子なんですよー。」

 いきなりマナミさんが僕をアオイさんへ紹介したので、僕はぎこちなくアオイさんへ挨拶をした。

 「はじめまして。ケンジって言います!」

 「あなたがケンジ君ね。マナミが初めてのお客さんだったのよね。今日は私にもデザートを作ってくれるのかしら。」

 アオイさんは僕を見ながら聞いてきた。まさかマナミさんが僕の初めてのお客さんになってくれたエピソードを話していたとは、嬉しさのあまり今すぐ声を出して喜びたいくらいだ。そして、こうやって聞いてくるのはマナミさんにどこか似ている。大人の女性が持つ少し余裕がある感じ。

 「今日のデザートは、まだ僕は作れなくて...。」

 僕は正直にアオイさんに答えた。今日のデザートはまだ練習中ですと言おうと思ったけれどマナミさんに驚いてほしいから何も言わないでおこう。

 「そっかー。残念だなー。じゃあ、私だけ今日のデザートじゃなくて特別メニューってできないかな?」

 マナミさんと違ってアオイさんは初対面の僕にもグイグイ来る。でも、マナミさんと同じく嫌な感じは少しもしない。

 「サンドウィッチお待たせー!」

 ノリさんが出来たてのサンドウィッチをテーブルへ持ってきた。この美味しそうな香りはいつでも食欲をそそる。

 「わあー、とても美味しそう。あ、ノリさん、ケンジ君の作ったデザートを食べたいんですけれど、特別メニューってお願いしても大丈夫ですか?せっかく来たし、マナミがいつも言ってるケンジ君のデザート食べてみたくて...。」

 「おう、いいぜ!なあ、ケンジ?とりあえず材料はあるから2人ともケンジのパンケーキでいい?」

 「私もいいんですか!?嬉しい!」

 僕が会話に入る隙間も無く、マナミさんとアオイさんのデザートはパンケーキに変更となった、そして作るのは僕。一番慣れているパンケーキですら未だに緊張しまくりだというのに。でも、なんだかアオイさんを見ていると大丈夫な気がしてきた。僕は2人のコーヒーをテーブルへ持って行くとパンケーキ作りのために戻っていった。2人はサンドウィッチを食べながら話が盛り上がっているようだ。

 「でも、アオイさんも以前よりも幸せそうで良かったです。私、毎回アオイさんの話を聞くことしかできなくて。」

 「気にしないで!話をきちんと聞いてくれたのは会社ではマナミくらいだったもん。だから、本当に助かってたよ。私も無事に別れる事ができてホッとしてる。」

 「それなら良かったです!私はアオイさん大好きですから!」

 「ありがとうね!昨日は久しぶりに親戚の家に行ったから、例の海岸に行ったんだよね。でも、昨日は誰も来なくってさあ。」

 「3年前の“黄昏の海“の話ですね!素敵な約束ですよね!」

 2人の会話は止まることなく盛り上がっていて、僕がパンケーキを完成させるまでもずっと話していた。

 「お待たせしました。パンケーキです。」

 2人のテーブルへ完成したパンケーキを運ぶとアオイさんは目を輝かせながらパンケーキを食い入るように見た。

 「うわー、美味しそう!ケンジ君、すごいね!」

 僕は照れ隠しに後ろ髪をかくようにして”ありがとうございます。”とお礼を言った。2人はパンケーキを美味しそうに食べてくれた。やっぱり美味しいものを食べている人の表情はいいものだなあと思いながら、ノリさんがお店を開いた理由に改めて共感した。 

 アオイさんとマナミさんは僕のパンケーキをペロッと食べ終えると、コーヒーを飲みながらまた会話を再開していた。僕は2人の温かい空気に包まれた店内でテーブル拭きや皿洗いをしていた。土曜日の午後、陽だまりのような暖かさ、僕の心も少し余裕を持っている気がする。

 「マナミちゃん、時間大丈夫?」

 ノリさんがマナミさんに声を掛けた。

 「しまったー!こんな時間!ノリさんありがとう!ごめん、アオイさん、私そろそろお店に戻らないといけないー!」

 「二人してまったりしちゃったね!私はもう少しだけここに居たいから残るね。ノリさん、私だけ残っていいですか?」

 「おう、いいよ。ケンジ、コーヒーのおかわりだ。」

 「ありがとうございます!」

 「じゃあ、私はお店に戻るので夜にまた!」

 マナミさんは慌てながらコートを羽織ってお店を出て行った。マナミさんがここまで時間を忘れるくらいに楽しく会話をしているのは初めて見た。僕もマナミさんが時間を忘れるくらいに楽しい会話をできればいいのになあ。アオイさんを少し羨ましく思った。

 「アオイさんって太陽みたいだな...。」

 ノリさんは僕にだけ聞こえるような声でささやいてきた。どうしてこの人は僕が思っていることと同じなんだろう。

 「そうですね。女神と太陽ですね。」

 僕とノリさんはまた二人だけの秘密のあだ名を増やした。ノリさんはディナーの仕込みを始めると僕は淹れたコーヒーをカップへ注いだ。

 「アオイさんが暇そうにしてたらケンジもあそこ座って話してていいぞ。今日のディナーの仕込みは順調に進んでいるからな。」

 僕はノリさんの言葉と共に淹れたてのコーヒーをアオイさんの元に運んだ。アオイさんがどこか遠くを見つめる瞳は少し哀しさを含んでいた。

 「ケンジくん、ありがとう。ねえ、少しだけ話を聞いてくれない?」

 土曜日の昼下がりの午後。僕は、この後の自分がアオイさんと再び会うことをまだ知らなかった。

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