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街風 episode.26 ~婚約者Rの献身〜

 携帯を開いてみると、無事にノリと復縁できたと報告のメールがユリエから届いていた。ケイタはすでにハイボールを飲みすぎて酩酊状態だ。

 「ケイタ、大丈夫か。」

 「大丈夫だよー…」

 これはダメだな。ケイタを無理やり起こして、お会計を済ませた。ケイタは財布すら碌に出せなかったので、全額支払いを済ませて、ケイタを見送った後に、1人でどこかで飲み直そうかと思った。

 12月に入って寒さがいっそう身に染みる。行くあても無く街を彷徨うようにフラフラと歩いていると、街中がクリスマスと年末に向けて浮き足立っている気がする。ネオンの光も今の自分にとっては眩しすぎる。

 きっと今回の出来事で映画を撮るならば、主役はユリエだ。もちろん相手役はノリだ。

 俺はきっと名脇役や新進気鋭の若手俳優がやるような役どころだ。事情を知らない人からみれば、元カレに婚約者を取られた滑稽な道化といったところだろうか。

 ユリエは学生時代からずっと俺の中で永遠のマドンナだった。そんなユリエと付き合えた事自体が奇跡だった。

 学生時代はケイタとバスケに熱中していて、バスケ以外には全く興味が無かった。彼女が欲しくなかったと言えば嘘になるが、彼女を作ってデートに行くよりもバスケの練習をする時間の方が大事だった。だから、周りの恋愛話にもあまり興味を持っていなかった。

 それでもユリエだけは別格だった。常に笑顔で他クラスの男子からも人気があったし、女子からも好かれていて妬み僻みなどもなかった。ユリエとは同じクラスになった事は一度も無かったけれど、何かの委員会でたまたま1年間一緒だった事とケイタ繋がりで知り合えたのは運が良かった。

 そんなユリエが、ケイタの親友であるノリと付き合ったと風の噂で聞いた時は、ショックよりもやっぱりなと納得している自分がいた。

 そんな2人が別れたと聞いた時の方が驚いたし、別れてからユリエがフリーのタイミングで再会できたのも本当に運が良かった。

 そのまま連絡先を交換してデートに行けただけでも幸せだったのに、お付き合いできた時には一生分の運を使い果たした気がした。

 でも、ユリエの中には常にノリがいた。最初は被害妄想だと自分に言い聞かせていたが、今回の結末で自分は間違っていなかったと改めて答え合わせができた。

 ユリエは、付き合ってからも何一つ変わらずに俺の憧れのマドンナのままだった。小さなことに
目一杯喜んでくれるし、とびっきりの笑顔を見せてくれた。

 ただ、時々ふとした瞬間に見せる表情には、何かが心にずっと引っ掛かっている気がしていた。

 お互いに結婚適齢期という事もあって、結婚の話や婚約に向けて話が進んでいくにつれてユリエは以前よりも悲しげな表情を見せる事は無くなっていた。むしろ、俺よりも2人の将来に向けて積極的に考えてくれていた。

 それでも俺はユリエの悲しげな表情が頭の隅にずっとこびり付いていて、何をやっても離れる事はなかった。それよりもユリエと自分がこのまま本当に結婚していいのかと、俺の方が不安になっていた。

 俺はユリエを本当に愛していた。

 だからこそ、大きな賭けに出た。ケイタに頼んでユリエとノリを再会させて、更には婚約指輪を渡し、俺とノリのどちらを取るか決断させた。

 結果は、俺の負け。ノリと再会した後に会ったユリエはあの悲しげな表情が再び戻っていた。むしろ、こうなることは予想していた。ユリエの心に再びノリへの気持ちが膨らんでいたのだろう。

 でも、ユリエはそんな自分の気持ちに気づいていたのに無視しようとしていたのか、自分でも気づいていなかったのか、俺との結婚話を進めようとしていた。自分で言うのもなんだが、俺もユリエから好かれていたし、愛されていたと思う。

 だからこそ、俺はユリエに別れを切り出した。ノリの事を忘れさせるくらいに幸せにしてあげればいい、という考えもあると思うが、俺はその選択肢を選べなかった。ユリエはそれでも良かったかもしれないが、俺はきちんとユリエに本当の幸せを掴んでほしかった。

 ユリエを本当に愛していたからこそ、俺はユリエが本当に愛している人と結ばれてほしいと願った。

 こんな話を高校時代のバスケ仲間のエイト、シュウ、ショウタに話したら、きっと笑われるかもしれないな。むしろ昔みたいにみんなで大笑いした方がさっぱりとできるかもしれない。

 大人の恋愛は難しい。好きだけでは長続きしないし、結婚したからといって幸せな訳ではない。

 会社に入ってみて思ったが、世の中は意外と浮気や不倫に満ちている。家では良いお父さんやお母さんである人も、密かに社内不倫をしている事もある。

 子供の頃にぼんやりと思い描いていた、“お父さんとお母さんがいて、マイホームがあって、可愛いペットがいて、休日は家族で楽しくドライブに行く”という普通だと思っていた将来像は、大人になって歳を重ねれば重ねるほどに、全員が辿り着けるゴールではないと知ったし、そのゴールの先にもまだまだ道は延々と続いている事も知った。

 だからこそ、俺は本当の幸せを探していたいのかもしれない。

 あのままユリエと結婚していて子供もできてマイホームに住んでいれば、学生時代のマドンナと結婚できて子宝にも恵まれた幸せ者に見られたと思う。でも、それでユリエは本当に幸せなのだろうか。俺との時間も幸せだと言ってくれていたし、俺も本当に幸せな時間を過ごすことができた。

 でも、ふとした瞬間にユリエの悲しい表情を思い出しては後悔していたに違いない。

 そんな事をぐるぐると考えながら歩いていると、正面からお父さんとお母さんと両手を繋いで歩いている親子連れが歩いてきた。

 他愛無い話で盛り上がりながら、小さな女の子はお父さんとお母さんを互いに見ては両腕をぶんぶんと振り回している。

 ああ、ユリエとこういう生活を過ごせたかもしれないのか。

 親子連れとすれ違った後に、気づいたら一筋の涙が流れていた。

 ああ、本当にこれで良かったのだろうか。ただただ強がっているだけで、本当はユリエを幸せにする自信が無かっただけかもしれない。ユリエはノリと再びヨリを戻したけれど、それが本当にノリとユリエの幸せだったのだろうか。

 涙を拭ってふらふらと歩き続けていると、気づけば通っていた高校の最寄り駅近くまで来ていた。自販機でミネラルウォーターを買って、近くの公園のベンチに腰掛けた。

 すると、1匹の猫がこちらへ寄ってきた。

 1メートルくらいまで近づいてくると、そこで立ち止まってこちらに向かってニャアと鳴いた。

 「よしよし。こっちへおいで。」

 猫に向かって話しかけるなんて俺も今夜は大分酔っ払っているなあ、と思いつつその猫を手招きした。

 その猫は再びニャアと鳴くとこちらに近づいてきて、俺の隣に飛び乗ってきた。そして、ゴロゴロと喉を鳴らしながら膝の上にゆっくりと歩いてきた。前足で俺の太ももを踏みならすとそのまますっぽりと収まるように座った。

 猫の体温が優しく太腿から伝わってくる。俺は猫を優しく撫でながら、俺とユリエの出来事を名前も知らない初対面の猫に話していた。

 一通り話し終えると、ゴロゴロと鳴らしていた喉の音がピタッと止んだ。

 「人間は色々と難しいなあ。」

 柔らかくゆったりとしたその声の主であろう人は周りを見渡しても誰もいない。この公園には猫1匹と人間1人。

 「もしかして、今のは君かい?」

 まさかと思いつつも、俺は動揺を隠しながら猫に尋ねてみた。

 「そうだよ。僕の声が聞こえるなんて不思議だな。人間で僕の声が分かるのは、カナエちゃんだけかと思ってたよ。」

 いよいよ動揺を隠せない僕を気にも留めず、猫は話を続けた。驚いて撫でていた手を止めてしまったら、撫でるのを止めるなと軽く甘噛みされた。

 「終わった事は仕方ないでしょー。人間はもっと僕達を見習った方がいいよ。過ぎたことは過ぎたこと。今日何して遊ぶかを考えた方が楽しいよ。」

 「でも…」

 「だってさー、君はユリエちゃんとノリ君が結ばれた方が幸せだと信じて、その結果今ここに1人でいるわけでしょ。そんな顔をしていたら、今度はユリエちゃんが君を思い出しては幸せになれないんじゃないの。」

 「そうかもな。」

 「だったら、君も新たな幸せを探せばいいんじゃないのかな。」

 猫はそう言うと太腿の上で器用に立ち上がって大きく伸びをした。一呼吸して大きな欠伸をすると、ベンチの下にスタッと飛び降りた。

 「眠いから帰るね。じゃあね。」

 そう言ってニャアと鳴くと猫は再びやってきた道を戻って暗闇へと消えてしまった。

 新しい幸せか。俺は猫とのやりとりを振り返りながら家へと帰った。

 家に着き、シャワーを適当に済ませてベッドにダイブするとそのまま朝を迎えた。

 翌朝、太陽の陽射しに無理やり起こされると頭痛がした。久しぶりの二日酔いだ。

 昨日の出来事は何だったのだろうか。もしかしたら夢だったのかもしれないな。

 脱ぎ捨てた洋服を片付けていると、昨日履いていたズボンの太腿あたりに猫の毛が沢山ついていた。

 「猫と会ったのは夢じゃなかった。」

 1人でそう呟いた後にクスりと笑ってしまった。もしかしたら、昨日の猫との会話も夢じゃなかったのかもしれないな。でも、こんな話を誰かにしたところで誰も信じてくれないし、昨夜の出来事は俺の胸だけに秘めておこう。

 それに、これからは次の幸せを探しに行かないとな。まずは、今回の別れた話をみんなで笑って吹っ切れるところからスタートだ。

 久しぶりにアホみたいに盛り上がりたいので、ショウタ、ケイタ、シュウ、エイト、のバスケ仲間4人に連絡しようとスマホを手に取った。

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