見出し画像

【小説】 オオカミ様の日常 第6話 「オオカミ様は帰宅する」

 オオカミ様たちは無事に帰ってきた。

 思えば、クチナワとタツミという大神2人と1日にまとめて会うのは、平定に向かった時以来のことだった。大神の中でも強大な神力を持つ2人と会ったせいか、いつも以上にひどく疲れていたオオカミ様は今すぐにでも寝たい気分だった。

 「今日はありがとうございました!」

 ミカとカナエはオオカミ様の背中から降りると、オオカミ様にお辞儀をした。

 「わしも良い息抜きになったわ。明日からまた仕事に励むように。カナエ、お主は明日から神様としての仕事を全うすることとなるが、初めのうちはしっかりとした先輩をつけるから安心したまえ。こやつのように好き勝手するような神様は参考にならぬからな。」

 オオカミ様は右手の甲を愛おしそうに撫でているミカを一瞥した後にため息をついた。最近、ため息をつくたびに白髪が一本ずつ増えている気がしてならない。良くも悪くもオオカミ様を年寄り扱いしない自分の下の神様や他の大神様たちのせいで、オオカミ様は未だに現役としてこの地方に君臨している。しかし、当の本人は早く自分の座を誰かに譲りたくて仕方がない。そんなことを言ってしまえば、また他の大神たちから何を言われるか分かったものじゃないので、オオカミ様はまだまだ自分が現役プレーヤーであることを嫌々ながらアピールしている。

 ミカとカナエとやしろの出口で別れると、オオカミ様はゆっくりと自分の社へと入っていった。社に高々とそびえ立つ榊は天辺が空まで届いているくらいの大きさだ。いつもと変わらずに雄々しく佇む榊の様子を見ると、玄関口へと歩き始めた。

 居間に向かってゆっくり酒でも飲みながら寛ごうと思い、お気に入りの酒を咥えていつもの定位置の椅子へと到着した。ここで、一つの問題が生じた。この ”オオカミ” の姿のままだと酒も楽しむことができないのだ。酒を徳利に注ぎお猪口にちょびちょびと酌んでから飲むのがいつもの定番だったが、今の姿だといちいち神力を使って行わなければならない。疲れるわけではないが、どうも面倒である。

 オオカミ様は、いつもの飲み方を諦めて小皿に取り分けて飲むことにした。一口飲んだがどうも美味いと感じない。それもそのはずで、床に置かれた小皿に注いだ酒を飲んでいる姿は、側から見れば飼い犬や飼い猫がご主人に用意してもらった皿から水を飲む姿にしか見えなかった。

 今の自分がどう映っている想像すると惨めになってきたので、オオカミ様は毎晩の楽しみである晩酌が暫くの間お預けになってしまった。小皿に注いだ酒に映る自分の姿を恨めしそうに睨みつけた。

 どうしたものか、オオカミ様は夜の唯一の楽しみを奪われてしまい、途方に暮れるしかやることがなかった。

 久しぶりに散策をしようと思い、今の窓を開いて庭へと出た。今年も終わろうとしている12月の空は冷え冷えとしており、空気も澄んでいるために月や星の輝きは美しかった。この寒さだと ”この姿” も悪くないものだな、と思いながら、社の周囲を散策していると榊の前に来て立ち止まった。

 「久しぶりに登ってみるかのう。」

 オオカミ様は榊の太く逞しい幹に爪を立てると、テンポ良く一番上まで駆け上がっていった。天辺まで登ると、夜空に輝く月は一層大きく美しかった。後ろ足を畳んで座りそのまま目線を少し下げると、自分の治めている街々がネオンライトで輝いていた。

   この山に住み始めた頃は、まだ人々はこの土地に全くいなかった。それが少しずつ人々が定住し、戦を繰り返した時代もあれば、長く平和な時代が続いた時もあった。ただ、今こうして広がっている景色が一瞬にして焼け野原となった時は、人間の愚かさと犠牲になった他の生き物たちに涙を禁じ得なかった。そこから復興した人間たちは、今こうして夜をも照らすめざましい発展を遂げた。オオカミ様は、街のネオンを眺めながらそんな今までを振り返っていた。

   「ここにいたんですね!」

 オオカミ様がぼんやりと街を眺めていると、榊の木の下から大きな声がした。声の主は、オオカミ様の隣へと駆け上がると静かに座っていたオオカミ様の隣へと寄り添った。

 「先ほど別れたばかりだというのに。」

 オオカミ様は、自分の身体に寄りかかってきた声の主であるミカに話しかけた。

 「なんだか寝付けなくて。」

 ミカはオオカミ様と同じ方向を見つめたまま、独り言のように呟いた。オオカミ様に寄りかかっているミカの身体は不安そうに少し震えていた。

 「クチナワやタツミに言われたことか。」

 オオカミ様もミカの方を向かずに呟いた。

 「はい。クチナワ様からもタツミ様からも、私の神力じんりきが強すぎることを懸念されて、私はこのままがいいのに自分の中でもどんどん神力が強くなっているのを感じています。」

 ミカは、そういうと俯いてしまった。オオカミ様は、そんなミカの俯いた顔を鼻先を使って優しく起こした。

 「心配するでない。お主は、わしの娘も同然。」

 ミカの頬を伝う涙を鼻先で器用に拭う。そして、涙で溢れたミカと目を合わせると、ゆっくりと話し始めた。

 「お主を引き取ったのはわしだが、お主がカナエとタマを神様にしたように、わしもお主を神様にすることには周りから猛反対されたのじゃ。」

 「そんな話は聞いたことがないです。」

 「ははは。そうじゃろう。お主がもう少し大人になったら、お主の生まれについても話してやろう。とりあえず、今日は一部分だけ。」

 ミカは涙を拭ってオオカミ様を見つめた。

 「お主を神様にすることは、当時の他の大神たちに反対された。その理由は、お主の神力の強さにあった。あの頃は、まだ人間も少なかったし大神やその下にいた神様も少なかった。そんな中、お主の神力は想像を絶するほどの力を秘めておった。この先、どれほど強大なものになるか誰も見当がつかないほどだった。大神たちに匹敵するほどの神力を持つ可能性がある者が、いきなり覚醒してその神力を持ってしまえば、この世界の ”力の均衡” が崩れかねないと危惧した。」

 ミカは、自分が生まれながらにして今日の神力の大きさを持つことを見抜かれていたことに驚いた。そして、自分でも知らず知らずのうちに大きくなっている神力に怖さを覚えた。

 「その時、実はお主を神様として受け入れずにこのまま封じようと考えた大神たちもおった。だがな、わしは反対だった。お主の生まれは特殊であったし、その悲運な境遇に追い討ちをかけるように、未来永劫このまま封印するのは可哀想すぎてのう。わしと同じ意見だったのが、クチナワとタツミだった。」

 ミカは、今日会ったクチナワとタツミが自分の命の恩人であったという事実に驚いた。全くそのような素振りを見せなかったから、会った時には全くそんなことを思わなかった。

 「まあ、クチナワもタツミも懸念はしておった。しかし、お主程度であれば何かあっても抑え込むことができると自信があったのだ。」

 他の大神と会ったことのないミカだったが、オオカミ様たちの神力の強さを目の当たりにした今ではその言葉に納得できた。

 「そうして、お主をわしが引き取ることになった。未だに他の大神の中にはこの事を快く思っていないのもおる。だからこそ、お主が悪戯をするたびにわしは冷や汗をかいておるのじゃ。」

 「そんなことがあったなんて。いつもごめんなさい。」

 「気にしなくてもよい。どうせ何を言ってもお主のことじゃ、数日か経てばケロッと忘れていつも通りに戻ってしまうじゃろう。だが、それでいいのじゃ。お主が元気にいることが、わしにとっても嬉しいことだからな。」

 「ありがとうございます。」

 「クチナワもタツミも言っておったが、お主はたしかに強い神力を持っておる。しかし、それを不安に思う必要はない。だから、今まで通り神様として自分の仕事を全うしてくれればそれでよい。」

 「本当にありがとうございます。安心しました。」

 オオカミ様とミカは、再び無言で夜の街を眺めていた。

宜しければ、サポートお願いいたします。