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「陽性判定から宿泊療養へ」 僕とコロナのn日戦争 4/28

いつも通りの朝を迎えた。

もうすっかり元気になった。それでも自宅から一歩も出ることができない生活は不満が溜まっていく一方だ。同期に買い足してもらった食料品もそろそろ底をつきそうで、今日も白米と缶詰という食事だ。

朝食を食べ終えて、始業時間前に社用PCを立ち上げてログインした。毎朝のの検温報告メール作成とメールチェックから業務が始まる。

午前中の業務も終わって昼休憩に入ったが、病院や保健所からの検査結果の電話はまだ来ない。

「焦らすなあ...笑」

誰に言ったわけでもないその言葉が部屋に虚しくこぼれる。午後から業務を再開して大体1時間が経った14:30頃、携帯に電話が掛かってきた。電話に出ると相手はPCR検査を受けた時の担当医だった。

「陽性です。」

他にも色々と言われたが、殆ど覚えていない。担当医の先生はとてもしてくれたが、以前にも書いたように自分は内心ホッとしていた。コロナが原因じゃないと別の病気を疑わないといけなくなるので、コロナだと言われたことで安心した自分がいた。

しかし、ここからが大変だった。
・入院
・宿泊療養
・自宅療養
この3つの選択肢から選ぶことになると医師から言われた。ただ、今こうして普段通りの会話もできるので、「入院」は無いだろうとも。そして、今は病院から電話が掛かってきているが、療養先を決めるのは保健所なのでそちらから後で電話が来るだろう、と伝えられた。ただ、一応の希望だけは先に保健所へ伝えることもできるので希望を聞かれた。僕は「宿泊療養」と即答した。病院からの電話を切ると、数十分後に保健所から電話が掛かってきた。ここからが地獄のラリーだった。

「...なので、自宅療養でお願いできれば...。」

最初の電話で保健所の担当者からそう告げられた。いやいやいやいや、おかしいでしょう、と思い、「宿泊療養」の希望が通らなかった理由を紐解いて行った。

僕が「宿泊療養」を希望した理由
・1人暮らし
・買い出し行ってくれる人がいない
・配送サービスが壊滅的(GWの突入も控えている)

自分が陽性となったことで、買い出しに行ってくれた同期は勿論、職場の同僚たちも全員が濃厚接触者として自宅待機を余儀なくされた。そして、自分の住んでいるエリアは配送サービスが数少ない上に大幅な遅延も発生していた。1人暮らしのため、自宅で容体が急変したところで119番を自分で押して連絡できる保証はどこにもない。

それに、自宅療養中の単身赴任者の男性が自室で亡くなったり、埼玉でも高齢者が自宅で容体急変して亡くなってしまったことを受けて、国は「宿泊療養」を優先すると言っていた。

理由と共にこちらの希望を伝えると、また折り返すと言われた。ここでも厄介な問題があった。

 対策本部 ⇆ 各エリアの保健所 ⇆ 陽性患者

あくまでも自分が電話していたのは自分の住んでいる地区担当の保健所であり、療養先を決めるのは対策本部だというのだ。ちなみに、宿泊療養施設の入所率はその当時で10%にも満たない数値だった。ますます、「宿泊療養」が通らない理由が分からない。

「やはり、自宅療養で...。」

2回目の電話も同じだった。自分の症状を聞かれたので”のどの痛み・乾いた咳”がほんの少しだけあることを伝えると、そういう方は宿泊療養できないと言われた。

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ますます意味が分からなかった。きちんと話を整理してみると、宿泊施設を利用できる条件は以下の通りだった。

・同居人に、持病持ち・子供・高齢者がいる場合
・無症状の方


つまり、僕のように1人暮らしで”無症状・軽症”の患者は原則として「自宅療養」と決められてしまうのだ。

入院(重・中等症)>自宅(軽・無症状)>宿泊(無症状)
※軽症・無症状でも入院可もある。

宿泊施設に行けるのは、陽性患者の中でも無症状の場合のみで、少しでも症状が出ている場合は自宅療養を優先される、という一見すると摩訶不思議な対応となっていた。

自宅にいる方が何かあった時にすぐに病院へ行くことができるから、というのが保健所の言い分だったが、僕は前述した通り、明日以降も買い出しに行けず頼る人もサービスも無いし、急変した時に自分で119番に電話できるか自信が無かった。東京都足立区のように2週間分の食料を送る等の行政サービスを提供してくれた上で、「自宅療養」を勧めるのであれば僕も悦んで自宅で過ごすことにしただろう。そうしてまた保健所との電話を切った。

19時過ぎ。
「宿泊療養」に決まったと連絡が入った。

僕と対策本部の間に挟まれてしまった電話越しの保健所の職員に何度もお礼を述べた。

「明日の午後に施設へ移動します。」

...え?いきなりすぎる。でも、ここまで迅速に柔軟に対応してもらったんだからこちらも言われた通りに行動できるようにパッキングしよう。

そして、保健所からの電話の後に民間の救急搬送サービス会社から連絡があった。

「明日の〇時に行くので。」

とても愛想の悪い女性の方だった。こちらがどこに車を泊めるのか等の待ち合わせについての質問をしても「運転手じゃないから分からない。」の一点張り。24時間体制の民間サービスだというのに、この接客態度は如何なものだろうかと思った。当日は搬送してくれる運転手が一報入れるそうなので、もうその人に言われるがままに行動すればいいやとなった。

すでに19時を過ぎていたため、24時間受付可能の窓口以外は閉まっていた。本当は宿泊施設について色々と聞きたかったが、自分が先週の金曜日に感染を疑って電話した時に全然繋がらなかった事を思い出し、”自分は症状も軽いし電話つながらないで不安な人もいるだろう。自分の想像できる範囲で準備して宿泊療養を迎えよう。もしもダメだったらその時はその時だ。”と開き直った。

※それで困ったこともあったので記事を書きましたが。笑

明日までに宿泊施設へ行く準備と同時にもう一つ重要なことがあった。それは各所へ「宿泊施設で療養」することに決まったと報告することだった。

・母親
・会社
・大家さん(←家賃は手渡しなので)

結局、社用PCを開いて報告メール作成したり、母親や大家さんに事情を説明したりで1時間くらいかかった。これで残っていた体力を殆ど奪われたため、パッキング作業は何も考えずにロボットのように身体を動かした。

ただ、あまりにも疲れており途中でギブアップして倒れこむように眠りについた。

つづく。

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