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今となっては

この間、自身が所属する軽音サークルの新歓ライブに向けて2回目のバンド練習があり、その後に軽くバンドメンバー全員でご飯を食べた。新入生の子の地元の話となり、最寄りの名前から俺は小学3~4年生の間担任であったあの先生のことを思い出した。

小学3~4年生は丁度俺がいじめられていた全盛期の頃で当時の担任であった先生にはよく迷惑を掛けていたと思い出す。先生はその頃40代の女性の先生で、図工や絵が得意でテストで満点だとゾウの絵に寄せた花丸をくれたり(ゾウの絵は先生のトレードマークだった)、総合の時間は月一でクラス全員で工作をして教室に飾ったりするような創作力に溢れた先生だった。先生の車や学校で用いていたインド風のゾウ柄のスカーフなど俺は記憶していることが結構ある。屈託な笑顔で誰からも好かれていたそんな先生であった。俺はよく、いじめの話になると土食った話や自身のネームプレートが教室のベランダの排水溝に落ちていた話をするのだが、それは丁度その先生が担任していた4年生ぐらいの話であり、今となってはこのようにエピソードとして話せるからまあ元を取れてるとは思うけど世界の狭いあの頃の俺にとってはまあまあしんどかっただろうなと考える。

俺が虐められていた理由としては、柔軟剤を使わない、同じ服を何度も着る、キモい、いじられキャラ、汚い天パ、細メガネなどなど挙げていったらキリが無いぐらいにはあるし、詳しくは俺の小学生編を読んでいただければいいと思う。特に、匂いに関しては生理的に受け付けられない理由の一つだったんじゃないかな。基本的に臭かった人は分かると思うんですけど、人の服って洗わなかったり、洗濯が足りてないというか、捨て時なのにまだ着てたりするとその服からお香の匂いがするんですよね。汗かいた時とか特に。その匂いの上に多汗ガキだとより匂いが連鎖反応を起こして芳醇な香りを身に纏うことになるんですよ。この間、自身のスーツを嗅いだらそのお香の匂いがして何となくノスタルジックな気分になりました。というか、今でも長く着ているTシャツとかはそういう匂いがする時があります。それで、小一から仲良くて、今もたまに連絡を取る女子の友達が僕には居るんですが、その子に中学の時「ワイ君は、(小学生の頃)なんかたまに納豆の臭いしてたよね」と言われ何を思ったのか家に帰ってその頃サッカー部だったために持っていたサッカー用のストッキングを嗅いで「俺はもう臭くないよ……」って一人アンニュイな気持ちになった思い出がある。今思うと、オトナ帝国の逆襲で自分の革靴の匂いを嗅いで、涙流しながら大人に戻るひろしのような感じだった。まあ、それぐらい匂いっていうのは虐められる理由には充分過ぎるものだと俺は考える。自分の息子にはじゃぶじゃぶ柔軟剤を使って欲しいし、オキシ漬けもするし、出来るだけ生乾き臭を断ち切る最新の洗剤を使いまくってあげたいと思う。

俺はこの2作後のヤキニクロードがギャグ全開で結構好きです。
話逸れるけど、夕日のカスカベボーイズは俺の人生において、喪失感や余韻、エモの原体験で、未だに俺はつばきちゃんを探している。
見てない方は是非。


で、まあ虐められた経験というのは別に未だにあいつらを許さない!とか、いじめ反対!みたいな思想を強く持つほどではなく、自分の中では本当に小さなものとして扱っていて、本当に「まあそういう時期もありましたな……」ぐらいのノリで生きている。そうなったのも、自分の成長と片付けることは出来るんだけども、それ以上に環境の変化というのが自分にとってとても大きなものだったのかなと思う。
高校は同じ中学出身の人が本当に小学校の頃から仲良かった友達一人だけだったのもありそれ以外は全員初対面という環境だった。それもあって過去の自分を知る人もいないし、幸運にもすぐに友達が出来て、新生活ガチャSSRの生活が始まり、その頃にはもう過去の弱く情けない自分というのは影を潜めて晴れて高校デビューの仲間入りをしたのであった。高校生や大学生になってから、地元の友達に会うと「真っ直ぐ成長したね」や「今思うと1番大人だった」と再評価路線で褒められることが多く、それはこの頃に真っ直ぐ青春人間の仲間入りが出来たからだと思う。ありがとう高一の俺。

そうした人生の中で、時が経つにつれてあの頃のいじめよりも精神的に苦しい場面は何度もあり、その都度成長して、今の精神のキャパシティで比べたらあの頃の苦しみというのは何でもないぐらいのものになってしまった。だから、大人はいじめを理解してない!や、子どもの気持ちが分からない!みたいな言説にも納得がいくし、自分自身がそうなってしまったからにはちゃんといじめについて俺なりの経験談だけではなく、マクロで考える重要性というものについてちょくちょく考えるようになった。
ただ、俺がそのマクロで考える上で一番大事にしているのは「いじめが起こる理由の所在」だと思っている。残念ながらいじめられっ子本人には全く非がないのに、親の教育が間違った方向に向かってしまった子どもに目をつけられ、いじめられ苦しむという世界は存在する。その場合、いじめの理由はいじめっ子の環境に問題があり家庭的な問題であると俺は認識している。その一方で、俺を始めとしていじめられっ子に理由がある場合のいじめられた経験というのは、単にいじめを無くすことだけが必要ではなく、その経験を経て成長することが大事だと考えている。それは少なからず今後の人生において必ず必要になってくるものだと俺は思う。勿論、いじめという問題に対しては完全に反対の意見だし、いじめっ子には地獄に堕ちなくとも今後の人生あんまり上手くいかないでほしいと思っている。いじめっ子は世にはばからず、実家暮しで低収入、職場まではワゴンRで出勤し、SNSを負の感情で動かして、なんJで自分より地位が低いと思っている撮り鉄などの悪口を書き込んでオナニーし続けて欲しいと願っている。だが、自分自身に理由があるいじめられっ子(往々にしていじめられっ子全員がそうであるとは思わない。しかし、大半のいじめられっ子には社会に属するには欠けている部分があったりする。)に関してはそれさえ解決すれば人生生きている限り事態は改善されていくと思っているし、その克服経験は必ず自分の為になると俺は信じている。ただ、俺の場合は自身の変化というより環境の変化の影響が大きく、それは全てのいじめられっ子が同様ではなく、たまたま俺は運が良かっただけだと感じている。だから、いじめられっ子の克服した経験談というのは本当に再現性というところであまり意味を持っていない。どれだけいじめ経験のある著名人が「いじめを乗り越えて……」みたいな話をしても毒にも薬にもならないと思う。それは俺自身もそうだった。だから、いじめられっ子はいじめと自身の両方と戦い、自分自身や環境の変化と答えを生み出さない限りその状態から脱出することが出来ないと思う。悲しいけれども、そういうものだと割り切って考えるしかない。

ここまでの話を曲解すれば、「いじめられる理由は本人にある」というふうに考えていると認識されてしまうと思う。だが、俺はそうだと思われても構わないし、結局のところ第三者が介入しようがしまいが、本人がいじめと向き合い戦わなければ解決しないと思っている。
だがそれでも、あの時両親と先生がちゃんと自分の問題に対して正面から向き合ってくれたことは問題の解決においてとても重要だったし、本当に感謝している。当時、母親は僕がいじめられていたことに対して、中学高校と上がればもっと世界は広がってあの時いじめてきた奴らの事なんかどうでも良くなっていく、みたいな話を教えてくれた。その時はまだ世界が狭いし、俺はこの小さな世界でも立ち向かえなきゃこれからは無いというような実感があったから結局転校などもしなかったけど、母親の言う通りだった。親父は「何とかなる」とだけ呟きながら夜中に暗いリビングで泣きながらソファに横になり学校に行くのを嫌がっている俺に対して色んなことを語りかけてくれた。あの頃のことは特に両親とも話してはいないけれども、親父と母親は俺のために居場所が出来るよう沢山動いてくれていたのだろうと思う。恥ずかしくて本人から直接聞くことは出来ないがそう思っている。その上で俺は自分を変えなきゃ、自分で戦わなきゃと思った出来事がある。それは小学4年生の時、その先生と面談している最中、先生が俺のいじめに対して泣きながら謝ってきたことだった。その頃の俺はいじめは自分の問題でもあるし、そこまで他者に干渉されたくはない(干渉されたとしても上手くいく気がしない)と消極的に思っていたし、このままどうしようもないまま死ぬのだろうとまで考えていたから大人に対しても心を開けず、どこか他人事のように思っていた。そうした中で大の大人が自分のために涙を流し、謝ってきたことに対して深い自責と情けなさを感じた。その瞬間から先生を泣かせないために「自分はもっと強くならなければならない」「自分を変えなければならない」と思うようになり、ただいじめられるだけの人間から、いじられキャラに持ってくまでの自分のユーモアや人となりを正そうと思うきっかけになった。未だに、あの時先生を泣かせ、謝らせたことは後悔しているし、それがなかったら俺は未だに面白くもなくただひねくれて社会のレールから完全に外れた引きこもりになっていたと思う。
今こうして、多少なりとも人間関係を良好に保ち、色んな人と仲良く出来ている自分がいるのはこうした大人たちのおかげなのだろうと認識している。

だから、俺は今いじめられている子たちに対して直接出来ることはただ、正面を向いてその子の苦しみに寄り添うことだけしかないのだろうと思っている。そして、その裏で環境を変えるための手解きを精一杯してあげることが本人のためになるのではないかと思う。俺はまだいじめという問題に対して確信的な答えや見解を持てていない。結局のところ、本人が自分を変える必要があることに気づき、動き続けるしかないのだから。俺は自分のいじめられた経験を理解して欲しいと思わないし、反対に他者の経験を理解出来るとは思わない。それだけ、僕が経験した場合においていじめというのは個々人の内省的な問題であり答えがないと思う。むしろ、明確な答えがないからこそ今いじめられている子たちにとってはいじめから乗り越えられるきっかけは沢山あると思う。だからこそ、いじめられている本人には苦しいけれども向き合い乗り越える努力を自分で身につけさせなければいけない。結局のところ、いじめられっ子にはそれを乗り越え強くなってほしい、それだけしか言えないのである。
俺の人生においては、その頃と比べて上手くいかないことは何倍にも増えその度に打ちのめされてはきたが、今こうして何とか生きている。それだけでも、あの頃の俺にとっては心強いことなんじゃないかと思う。いじめられたというその経験だけが、皮肉のように自分の価値観を整えたり、反面教師にすることが出来る。それはいじめられっ子だけが手にすることの出来る唯一の経験だと思う。その上でその経験を活かすにも目を背けて頑張るにも、ちゃんと乗り越えて生き続けなければいけない。だから、死んじゃいけないし、負けてはならないと思う。勝てなくてもいいから負けないこと。それがいじめられっ子において1番大事なことなんじゃないかなと思う。

と言うように、最後は教訓じみたことを書きつつ、こんなにも長くなるほど俺は未だにいじめについて考えることがあったのかと驚いてしまった。まあ、いじめに関してはいじめられないに越したことはないが、いじめられた方がなんか人間味が出て面白くなるんじゃないかぐらいの感覚で俺は思うようにしている、いじめられた本人が生き続ける限りは。
長々と書き綴ってしまったが、少なくとも生きている限り、俺はいじめられっ子の味方で居続けたいと思っている。そして、その苦しみをユーモアに変えたりして一緒に居て楽しい人間だと出会う人々全員に思ってもらうことが俺なりのいじめに対する答えであり、あの頃に対する復讐になるんだろうと思っている。

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