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15歳の夏、ノブコは広島駅で列車の中にいた。突然の衝撃に、気がつけば床に倒れていた。ノブコはそれから数日間、原子爆弾の落ちた広島を歩いてお祖母さんをさがしにいく。一人の女の子の目…
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~ある女の子の被爆体験記35/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。”生かすための解剖、平和のための解剖記録“
解剖データは、亡くなられた方の体験、貴重な声 被曝した生存者の方々は、後世に体験談を残そうと必死に思い出したくない過去を、発表してきました。しかし、被曝した死亡者の方々も、人生をかけて、その訴えを残しています。その一つが、解剖データです。 解剖データは、原爆投下直後、まだ放射線が残る広島や長崎で働いた医師たちの献身による遺産でもあります。 広島逓信病院の当時の院長であった蜂谷道彦医師と岡山医科大の病理学助教授での玉川忠太医師は、体に原因不明の斑点を作り、白血球が減少し、次