永遠の不在
二十歳ごろから付き合いのある友人が亡くなった。自殺だったらしい。まったく現実味のないその話を、私はすぐに信じることができなかった。あまりにも唐突で、つい先月会ったばかりなのに、あのとき元気そうにしていたのに、もう会えなくなってしまったなんて嘘だと思った。
通夜の日時や詳細について共通の友人から連絡がきて、その共通の友人の車に乗せてもらう形で斎場に向かうこととなった。私が最後に通夜や告別式に行ったのはおそらく7、8歳ごろで、実に十数年ぶりだ。そのため礼服を持っておらず、どういったものを用意すればよいのか、冠婚葬祭業界の経験がある友人に相談した。すると「サイズが合いそうだったら前の職場で使っていたもの貸すよ」と言われ、ありがたく借りることになった。この際、新しく買っておいたほうがよかったのかもしれないとも思ったが、次に礼服を着るのはせめてあと10年は先がいい、そうあってほしい。
2020年以降、人と気軽に会えなくなってから疎遠になった友人・知人は少なからずいるが、亡くなった友人はむしろ逆で、2020年以降に連絡をとることが増えた。それまであまりよく知らなかった彼の内面に触れて、ようやく真の意味で友人同士になれた実感がある。「教員志望の性格が明るい人」というのが私の彼に対する第一印象であったが、実のところ彼は学校生活にあまり良い思い出は無いそうで、それが寧ろ学校教育に興味関心をもつきっかけとなったようだった。当初は臨時採用だった彼の正規雇用が決まったときは、一緒に久しぶりに朝まで酒を飲みカラオケに行った。出会ったばかりのころは、朝5時に締めで山岡家のラーメンを食べる元気があったのに、20代も半ばに差しかかると、もうそんな遊びかたをする体力は失われていて「このままだとあっという間に三十路かあ」「結局二十歳くらいが無敵だったわ」「戻りたいね、戻れないけど」なんて言い合ったことを、昨日のことのように思い出す。
先月仕事帰りに会ったときは「iPhone12に機種変した直後に13出てマジ萎えた」「人生、老いてからの時間の方が明らかに長いとかいう事実が恐すぎる」など、いつものように適当な会話をした。「今度は週末な、飲み行こ」と言って別れたのに、もう会えなくなるだなんて夢にも思わない。「ボジョレーって実際そんな美味いもんなのかって話だよ。今年こそ試しに飲んでみたいな」なんて話もしたから楽しみにしていたのに。もう解禁されたから一人で飲んでしまった。少なくとも、学生の頃に宅飲みで買っていたスーパーの298円のワインよりもはるかに美味しい。ワインを飲みながら、彼は一体どこで、なにに追い込まれてしまったたのか、答えの出ることがない問いを巡らせた。すると、たくさん自分の話を聞いてもらってきたわりには、愚痴は多少あれど弱音や悩みを彼の口から聞くことが殆ど無かったことに今更気がついた。黙っていなくなってしまうなら、ほんの少しだけでも打ち明けてほしかった、と思うのは私の身勝手な言い分だ。
今でさえ、もう彼がいないという現実をまだ信じることができていない。自分たちの前からふらっと姿を消しただけで、知らないどこかに本当はまだいるのではないか、きっとそうだ、非現実的な思い込みがずっと頭の片隅でゆらゆらとくすぶっている。
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