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活字の海で舟を漕ぐ夏

 京の都の大学生になってからもう3年目。大学生になってからのものの中学、高校時代と比べて明らか活字に触れる機会が減ったように思われる。今回は帰省中に読んだ本について思ったことでも綴ろうと思う。

授業はオンラインへ……

 今年に入りCOVID‐19が流行してしまったことにより授業がオンラインとなった。朝、焦りながらも大学へ向かい、そして友達とご飯を食べ、そして授業が終わってからワクワクしながらサークルの仲間とお話をしたり、ご飯を食べたり、はたまたゲームをするなどの充実した生活はどこか遠い思い出になってしまった。ただどこか遠くにいる教授の声を90分聞き、それを何回か繰り返し、無機質に課される課題をこなす色のない日々が数ヶ月続いた。そんな色のない日々もとりあえず息を潜め、夏休みが訪れた。

 それで、夏休みは何をしたか?何か日常に色でも塗ったか?否、未だに夏休みというキャンバスには何も色が塗られていなかった。このままではまずい、ということで活字の海へ泳ぎに行こうということになった。

そして活字の海へ

 暑い、とにかく都の夏は暑すぎる。しかし、私は意を決して自転車を漕ぎ、古本市場へ向かった。私は昔から本を買うという習慣が無かった。これはひとえに母親の影響が大きく、本は図書館で借りろと言われ続けたため本のためにお金を出すのが惜しくなってしまっていたのである。されども、今はれっきとした大学生。自分でお金を稼ぐようになったため自分の物は自分で買うことに抵抗も消え、目を輝かせながら古本市場に入店した。やはり、紙の本というものはいい、この手触りの中、作者に対して思いを馳せながらページをめくるのがいとをかしというものである。私は本については新品でも中古でも気に留めないタイプであったので1冊80円のコーナーに向かい棚を物色するのであった。

中学以来の……

名前順に並んだ作者を見てどこか懐かしさを覚えながらお目当ての作者を探していた。今回は星新一と川上弘美が目当てである。私と星新一の出会いは至ってシンプルなもので、実家にたまたまあった星新一の本を読んだところ、彼のSFとしての技量の高さに大変驚き、のめり込むように読み、そして他の作品を渇望するようになった。

 私と川上弘美の出会いはこれは奇跡みたいなものである。私の通っていた中学では中間試験、期末試験とは他に実力テストというものが課されていた。当時の国語の先生が題材として川上弘美の「パスタマシーンの幽霊」から抜粋したものが出された。試験の最中は読むので必死であったが、改めて読み返すと言葉にするのが難しいが、簡単に言えば私の好みだったのである。そうして私は星新一と川上弘美と出会い、彼らの本を読み漁るようになった。

 しかし、いつしか星新一の作品は読まなくなり、専ら川上弘美を含めた女性作家を読むようになった。瀬尾まいこや綿矢りさなどを読むようになった。私が言うのもおこがましいが女性作家の文章はとても柔らかくて大変読みやすいのである。なので苦もなく継続して読み続けることが出来たのであろう。その女性作家の作品でさえも、大学に入ってからはいつしか読む機会がめっきり減ってしまった。

そして本題へ

 帰省して最初に読んだ作品は星新一の「悪魔のいる天国」である。星新一によく見られるショートショートのSFで数多くの作品がおさめられている(36作品)。今回は特に印象に残った話について綴ろう思う。彼の作品を読み続けていると多分この作品はこのようなオチで終わるだろうと予測出来るものもあるがそんなものは僅かでいつも私の予測を超える結果を見せてくれる。これが私を惹き付けてならない。

 まず私が紹介したいのは「天国」という話である。中年でパッとしないある男は、どなる上役と、面白くないワイフと出来損ないの息子との生活に嫌気が差し、いっそ死んでしまいたいと思っていた。行きつけのバーデンダーに相談したところ生きたまま天国に行く方法があるという。もちろん、男は興味をしめし生きたまま天国に行けるのならばそれに越したことはないと、エンジェル協会という所へ行くように言われた。翌日、協会に向かった男はその算段を聞く。どうやら自殺願望のある人の人形を作り、その人形を衆人環視の中で自殺させることでその人が自殺したように思わせ、その人の保険金を会社の利益とし、その本人は南の島の天国へ生きたまま行けるということである。たしかに、今で言うWin‐Winの関係である。そして物事は順調に進み、男も天国へ着き、何一つ不自由のない生活を送っていた。しかし、男は天国の先輩達が浮かない顔をしているのを見かけた。男はまもなくその理由がわかり、それを解決すべくボートを作り始めた。天国の協会の人が「何か不満があるのか」と聞いたところ男はどうやら欲しい物はなんでも揃うから不満はないと答えた。しかし、何故かあのどなる上役と、面白くないワイフと出来損ないの息子との生活が懐かしくてたまらないようで、もう一度戻りたいそうである。だが、協会は無慈悲にも天国から戻れるはずもないと答え、あの世に行きたいなら泳いで途中でおぼれてどこかに生まれ変わればよいと言う。男は「あ、そんな方法があったのか」と言い、泳ごうとするのであった……

 日頃の味気のない生活から逃れようとした男が哀れにもその味気ない生活を渇望してしまうという悲しいお話であった。ならば、この中年の男の現世での正しい生き方というのはどのようなものであったのか?こんな社会で働いてもいない学生の身分ではなにか発言するのも烏滸がましいことではあるが、彼には休息が必要だったのであろう。ただ日頃の煩わしさから解放されたかった。しかし、天国では度が過ぎたのかもしれない。過ぎたるは及ばざるが如しとはこのことかもしれない。しかし、このような物は体験してみないと分からないものである。私も天国へ行って物欲が全て満たされた時、本当に人が欲するものは何なのか知りたい。

今回は短いながらもこれで終わろうと思う。次回も星新一の話を紹介し、川上弘美の作品にも触れていこうと思っている。では、今度は天国で。

 



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