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20200807(普及版)夏に見たい映画「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」批評5番勝負+1 次鋒 80年代から90年代、昭和から平成へのシフト論

本企画は、2013年、大分の盟友エトジュンと運営していたブロマガ「無頼派メガネ」で連絡した企画を2020年の味付けで再掲載したものです。

さて、皆様、先日の先鋒の批評を読んでいただいてから、ビューティフルドリーマーを見ていただけたでしょうか。

ここからは、批評の内容が深まるにつれて、ビューティフルドリーマーを見ていることを前提に話が進んでいくと思っていただいた方がいいと思います。

場合によっては、今流行の、「ながら見」ならぬ、「ながら読み」でもかまいませんので、よろしくお願いいたします。

1984年は日本が「午後2時の太陽」だったころ

ビューティフルドリーマーの上映は1984年でした。

この頃は、戦後の高度経済成長期の最盛期ともいえる時期だあり、翌年の1985年にはプラザ合意で、先の大戦で敗戦国となった日本がアメリカのために為替誘導を約束することになります。

つまり、名実ともに世界一となり、ある意味でアメリカに追いつく時期でした。

このあたりは、新潮新書の『1985年』がとても分かりやすく描いてくださっています。

上記の書籍で、1985年の日本を「午後2時の太陽」と表現しています。頂点は過ぎたが、まだ、日差しが強く気温が最も高くなっていたころ合いという意味です。

また、1985年は80年代的なものが急速に90年代に移り変わり始める頃合いでした。

本論では、日本において、1989年に平成へと元号が変わることから、より分かりやすく、90年代的なもの=平成的なもの、という紐づけを作って、論じていきます。

崩壊と荒廃の後に残るもの

ビューティフルドリーマー本編では、アニメならではのある反則技の前後で、友引町の世界ががらりと変わってしまいます。本作に登場するメガネの独白を、少々長いですが引用してみましょう。

「私の名はメガネ。かつては友引高校に通う平凡な一高校生であり、退屈な日常と戦い続ける下駄履きの生活者であった。
だが、あの夜、ハリアーのコックピットから目撃したあの衝撃の光景が私の運命を大きく変えてしまった。
ハリアーであたるの家に強行着陸したその翌日から、世界はまるで開き直ったかのごとくその装いを変えてしまったのだ。
いつもと同じ町、いつもと同じ角店、いつもと同じ公園。だが、なにかが違う。路上からは行き来する車の影が消え、建売住宅の庭先にピアノの音もとだえ、牛丼屋のカウンターであわただしく食事をする人の姿もない。
この町に、いやこの世界に我々だけを残し、あの懐かしい人々は突然姿を消してしまったのだ。数日を経ずして荒廃という名のときが駆け抜けていった。
かくも静かな、かくもあっけない終末をいったい誰が予想しえたであろう。人類が過去数千年にわたり営々として築いた文明とともに、西暦は終わった。
しかし、残された我々にとって終末は新たなるはじまりにすぎない。
世界が終わりを告げたその日から、我々の生き延びるための戦いの日々が始まったのである。
奇妙なことに、あたるの家近くのコンビニエンスストアは、押し寄せる荒廃をものともせず、その勇姿をとどめ、食料品、日用雑貨等の豊富なストックを誇っていた。
そして更に奇妙なことに、あたるの家には電気もガスも水道も依然として供給され続け、驚くべきことに新聞すら配達されてくるのである。
当然我々は、人類の存続という大義名分のもとにあたるの家をその生活の拠点と定めた。
しかし何故かサクラ先生は早々と牛丼屋「はらたま」をオープンして、自活を宣言。
続いて竜之介親子、学校跡に浜茶屋をオープン。そして面堂は、日がな一日戦車を乗り回し、おそらく欲求不満の解消であろう、ときおり発砲を繰り返している。
何が不満なのか知らんが、実に可愛くない。
あの運命の夜からどれ程の歳月が流れたのか。しかし今、我々の築きつつあるこの世界に時計もカレンダーも無用だ。
我々は、衣食住を保証されたサバイバルを生き抜き、かつて今までいかなる先達たちも実現し得なかった地上の楽園を、あの永遠のシャングリラを実現するだろう。
ああ、選ばれし者の恍惚と不安、共に我にあり。人類の未来がひとえに我々の双肩にかかってあることを認識するとき、めまいにも似た感動を禁じ得ない。

それまでは、文化祭前日を繰り返していた、お祭り騒ぎの日常はどこへ行ったのかもわからないほど荒廃した世界になるわけです。

そして、象徴的なのは、その荒廃した世界に残っているものは「生活するためだけに都合よく作られた空間」です。

その空間の象徴として現れるのが、何の現実味もなく与えられる電気・水道・ガスといったライフライン、新聞・テレビといったマスメディア、そして、在庫の尽きることのないコンビニエンスストア。
「生きるために消費」しているのか、「消費するために生きている」のか、そんなことももはやどうでもいいような世界がやってくるわけです。

奇しくも、この映画の公開、5年後に昭和は終わり平成へと移り変わります。80年代は昭和と紐づけられ、90年代は平成と紐づけられていきました。

私は、この、「生活するためだけに都合よく作られた空間」というのが、どうも、平成的なものの象徴に思えて仕方ないのです。

なぜなら、ビューティフルドリーマーが、友引町の荒廃前後で、その物語の性質を変えているからです。

学園ドラマから狭い人間関係ドラマへ

友引町が荒廃する直前まではまさに、スクールウォーズや金八先生といった学園ドラマを思わせる賑やかさと多くの人間が登場します。

しかし、荒廃後は非常に狭い人間関係の中で繰り広げられるサスペンスの様相を呈していきます。

この変化は、ある意味で、昭和ドラマから平成ドラマへのシフトも現されているのではないかと思います。

この場合の平成ドラマは、トレンディドラマに始まり、セカチュー(世界の中心で愛を叫ぶ)を頂点とした、セカイ系の作品をイメージしています。

自分が世界であり、世界は自分であるとでも言わないばかりに、狭い範囲での人間関係や問題を大きく取り上げるドラマのことです。

その変化の中心を、簡単に言ってしまえば、80年代は画一化された環境が提示されていた一方、90年代は消費によって個性や多様性を生み出す環境だったと言えるかと思います。

消費するために生きる平成へ

ある程度画一化された環境の中でのお祭り騒ぎというのが、80年代を頂点とする、戦後の高度経済成長期の象徴だったのでしょう。

その後に到来した、衣食住が保証された世の中でのサバイバルは、消費によって、個性を出し、多様性を生み出していった、平成の時代だといえます。

映画内での、そのサバイバルは、バグという秩序外の外圧により崩壊させられました。平成の日本に例えるなら、外圧による金融改革やアメリカ水準にターゲットを絞り込みすぎた、グローバリゼーションによって、崩壊していったとでも言うべきでしょうか。

バグによって崩壊した後、結局、うる星やつらは夢邪鬼の作る、新しい夢の中に閉じ込められています。そういう意味では、崩壊した平成の後の、令和はまた新しい夢の世界に生きていると言えるのかもしれません。

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「文化こそ、付加価値の源泉である」といえる、21世紀の日本を目指した、思考実験と結果まとめの日記です。(ちょこちょこ雑談も入ります)

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