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産後3ヶ月、博士課程一年次に似た絶望感と悔しさを噛みしめて

ご無沙汰しております、Dr.りけ子です。先週の日曜日なら久々に書けると思っていましたが、寝不足続きでノックダウンしてました。。

「東京発・400字から世界を変えるスタートアップコンテスト TSG2024」、一次選考書類の提出締切が8月5日でした。前日のお昼ごろに無事提出!

この一ヶ月間、「博士の能力・経験が正しく評価され、博士の持つスキルを100%発揮して社会貢献できる世界」というビジョンの実現に向けて、アイデアを具現化するべくアクションを行ってきました。

ビジョンを叶えるアイデアや自身の原体験を個人ワークで深掘りしたり、オフラインイベントに参加してアイデアを伝え合ってブラッシュアップしたり、インタビューを申し込んで需要確認をしたり。イベント時に突撃インタビューなんてこともしました。

やりたいことが見えてきて、次のアクションも決まったし、人脈も広がったので、一次審査を通過してもしなくても、エントリーして良かったなと思います。

7月半ばの時点で、こんな記事を書いたけど、今だから言います。

ヘトヘトってレベルじゃなくて、くっっっっそ疲れました!!!!!笑

汚い言葉を使いましたが、この表現が一番しっくりくる。本当にめちゃくちゃしんどかった……。今日はそんな「くっっっっそ疲れた」理由について、自分への労いと今後の抱負を込めて、書き留めておこうと思います。

思考力低下を自覚し、否定的思考に晒される日々

疲労の主な理由は二つ。

一つ目は「産後の影響と長期間の引きこもりによる思考力低下」、
二つ目は「対話の場で否定的思考に晒される機会が多かったこと」。

一つ目の理由「産後の影響と長期間の引きこもりによる思考力低下」

一つ目の理由は、最近の大きな悩みで、明らかな思考力の低下を痛感しています。特に低下を感じているのが、瞬時に本質を捉えて指摘・批判する力。

例えば、上記のTSG2024のイベントにて、数人チームに分かれてお互い3分で自身の起業アイデアを話す、というワークがありました。アイデアの具体化度合いが人それぞれだったので、アイデアへの熱い想いはあるけども言語化がうまくできていない段階の方がいました。

昔であれば、そんな方の話を聞くとき、「言いたい・やりたいことの本質はどこにあるのか」を聞きながら見つけて、相手にフィードバックできていました。けれど今は、聞いているうちに疲れてしまって、「話がよくわからないや」って思考停止しちゃうんです。

話の要点を掴みきれないまま、ワークが終わりの時間を迎えて、呆然。

「わたし、本質を捉えられなくなっているじゃないか……」と。

社会に出てから、瞬時に本質を捉えて指摘・批判する力は、自分の強みの一つだと思っていたこともあり、イベントに参加した日は毎回、帰りの電車の中で落ち込んでました。産後のホルモンバランスの変化で、ネガティブになりやすいのもあって、家に着くと、悔しさが溢れてヒソヒソ泣いてました。笑

思考力が低下した原因は、ホルモンバランスと約一年の引きこもり生活だと思います。

妊娠したときから、私はホルモンバランスの影響を受けやすい体質だという自覚があって、心身ともにだいぶ影響が出ていました。足首から顎下までぶわっと湿疹が出来たり、動くとすぐ疲れたり、忘れ物が増えたり。また、ネガティブになりやすいこともあって、妊娠が発覚した去年の7月末からnoteを再開した今年の6月まで、意図的に人との接触も制限してました。難しい話をされると、めちゃくちゃ疲れてしまうのも、妊娠中からでした。

妊娠している最中は、人と話すことや難しい話を避けて過ごせたけれど、今は起業に向けたアクションを起こし始めたところなので、そういうわけにもいかず。

一年間避けていたツケが、今回ってきた感じです。

二つ目の理由「対話の場で否定的思考に晒される機会が多かったこと」

一つ目の理由の原因(ネガティブになりやすい)にもちょっと通ずるところがある話。

誰かのアイデアの発表を聞いたり、自分のアイデアの発表を聞いてもらったりする機会が、ここ一ヶ月でたくさんありました。

その場では、お互いにフィードバックをしあう時間が設けられており、「相手を全力応援する気持ちでフィードバックを!」というルールがありました。私を含め、アイデア・目指す世界(ビジョン)を言語化している段階の人が多かったので、そんなルールがあるのは納得。

ただ、実際にやってみると、自分の価値観に「合わない・知らない」アイデアや、技術的に困難そうなアイデアに遭遇したときに、そのアイデアを否定する方が一定数いらっしゃって。

自分だけならまだしも、周りでも否定されている方を何人か目にして、とっても胸が苦しくなりました。

フィードバックって、否定することじゃなくて、批判することだよなと。仮に自分の価値観にそぐわないものだったとしても、「相手がどうしてその結論に至ったのか」を自分なりに考えてみて、気づきだったり情報だったりを相手に与えること(批判すること)じゃないのかと。

そもそも、自分の価値観に合わないだけで、他の人にとっては需要があるかもしれないですし。否定された方がどんどん自信を失っていく様子を見るのは、とても心にきました……。そこで、私もうまいフィードバックができれば良かったのですが、思考力が終わっているので、うわべなことしか言えなくて、自分の心は申し訳無さでもいっぱいに。

私の場合、遠回しに「それって意味あるんですか?」と何度か言われました。

博士なんて正直、社会的に見ればレアキャラ人材なので、接したことがない人からするとイメージしにくいだろうし、そもそも自分が博士でなければ関係ないと思われてしまうんだろうな、とも思います。

昔だったら「なんだコイツ……(怒)」と思えたし、そこで自分のアイデアの意義をバシッと言えたはずなんですが、今回否定されたときに自分の思いを伝えられずモゴモゴっとしちゃったんですよね……。

上で書いた思考力の低下だったり、アイデアの核の言語化がまだできてなかったり。題材が難しいにしても、そもそも私の話し方がうまければ(相手にイメージさせることができれば)、否定されることもなかったと思う部分もあり。

熱い想いを持っているはずなのに、発表時でも反論時でも、自分のやりたいことを表現できなかった自分自身に、すごい悔しくて情けなくて落ち込みました。案の定、家に帰って、悔し泣きしました。笑

博士課程一年次に通ずる絶望感と悔しさ

7月だけで、どれだけの涙を流したかわかりませんが(笑)、ふとしたときに「今の私の歩みって、博士一年のときに似ているなぁ」と思いました。

ただ研究を続けたくて、博士課程に進学したら、急に研究者扱いされて。セミナーで自分の研究の進捗報告をしたときに、私を置き去りにして、先生たちが芯を捉えた議論をしているのを目の当たりにして、「自分の研究なのに、なんで自分はこの程度のことしか分かってないのだろう」と落ち込みました。

博士一年次のときも、やっぱり悔しくて。自分の脳力の無さに絶望して、あまりにも悔しかった時は、トイレでひっそり泣いてました。笑(年に一度は奈落の底に落ちたかのような絶望感で涙した)

このときの悔しさと今の悔しさは、似ているなぁと思います。

当時は、セミナーが終わった後、先生たちが言っていたことをメモしたノートを見返して、自分なりに納得できるまで咀嚼したり。教科書やウェブ記事を読んで知識を補い、自分事に落とし込もうとしたり、先生に聞いて勉強したり。とにかく「これは私の研究なんだ!」と自信を持って言えるようになるだけの努力はしたつもりです。

悔しさをバネに、そうやって一歩ずつ前に進んで、実際に成長した自分がいるからこそ、「博士だって社会で活躍できるやん!」と思ったわけで。

今、思考力が低下しているのは、本当に悔しいです。

頭を使うことは自分の武器だと思っていたので、それがなくなってしまい「私は何者?」って感じることもあります。「博士は高いトランスファラブルスキルを身に着けてますよ!」とアピールしてる自分に思考力が無いので、なんとも言えない気持ちにさえなります……。

でも、そんなこと言っても、今はその程度の力をもって頑張るしかない。博士課程のときは「研究者」という舞台に挑戦していたけれど、私は今「起業」という新しい舞台に挑戦していると思えば、博士一年次と同じようになるのは当然なのかもしれません。

イベントに出るたびに落ち込んで悔し泣きしていますが、回数をこなしていかないと思考の勘は戻らないと思うし、起業で使う頭の使い方は身につかないとも思います。

行動すれば悔しいイベントが絶対にまた到来するはずだけど、こんなに悔しくてつらい思いをしているけど、「博士の能力・経験が正しく評価され、博士の持つスキルを100%発揮して社会貢献できる世界」は、当事者として叶えたい未来です。

「りけ子さんのアイデア、実現してください!」
「応援しています!」

7月中に出会った方々からいただいた言葉です。そう思ってくださる方が一人でもいるなら、悔しいを言い訳に止まるわけにはいかない。

悔しさをバネに、一つずつ愚直にこなしていくしかないですね。
リハビリ期間と思って、頑張ります。

Dr. りけ子

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