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教育って何だ? "学ぶ"ということ

 ご無沙汰しております、Dr FJです。
今日は、最近自分の周りでよく聞く『学ぶ』ということについて私が思うことを書いてみたいと思います。

 何か自分が今できないことができるようになりたいと思う時、人は学習するのだと言われています。そして、その"学習"をどうやってすれば良いのかについて、昨今様々な意見が飛び交っています。よく取り上げられるのが、ホリエモンこと堀江貴文氏が主張する、『寿司屋の10年間の修業は非効率的で時間の無駄。1年あればできる』みたいな話でしょうか。その影響もあり、近年では数ヶ月で寿司が握れるようになるという専門学校も開校されているようです。

 また、医療の世界では、『手術見学』というものもよく行われています。珍しい手術をする施設にその手術を見学に行くということで、これはそれを口実に北海道や沖縄、時には海外などのリゾート地へゆかりのあるドクターを連れていき、その旅費を器械業者が負担する一種の接待のようになっていることもありますね。

 そして、医療の世界では高い志のある人がよく”留学"や"有名病院での研修"によって学んで来るという話もあります。欧米などの海外に行くこともあれば、国内で有名な病院に行くこともありますが、大抵の場合はその留学先、勤務先からの給与は安く設定されているにも関わらず頑張って働いて学ぶやりがい搾取のような状態であることが多いですね。かくいう私も無給でアメリカに行きましたし、国内でも有名病院で学ぶために田舎で勤務したりもしました。

 この様に、一方では
『YouTubeなどで効率よく学べば良いとされる施設に弟子入りして長い間修業をする必要はない』
とされる中、他方では
『最先端の有力な場所に行って学んでくるべきだ』
という話もある中で、一体どこでどういうふうに学ぶのが正解なのでしょうか?

 私はその答えは『何を学ぶのかによる』のだと思っています。単に知識を得たい、〇〇のやり方を学びたいというのであればそれは動画や教材などからいくらでも学ぶことは可能であり、そのために特別な場所に行く必要はありません。一方で、定型化しにくいことを学ぶということであれば、実際にその地に行って学ぶ必要があると思うのです。特に、答えのないような問題に対してその道の第一線で活躍するような人がどう意思決定を行っているのかという過程を間近で見るのは、本当に勉強になると思います。これをしっかりやると、『あの人ならこういう意思決定をする』というプログラムを自分の中にインストールすることができ、これはかけがえのない学びになります。

 なので、逆に言えばもし誰かから直接時間を使って学びたいというのであれば、できるだけその人と同じ時間を過ごし、その人の意思決定のプロセスを一緒に追体験するように時間を使っていくべきだと考えます。なので、例えば今自分が研修先を選ぼうと考えている研修医であれば、『どんなことをやらせてもらえるのか』『どんなプログラムがあるのか』なんてことはあまり重視せず、『どれだけ主として一緒に過ごす上司が優れているのか』『その病院でどのような治療が行われているのか』を見て選ぶでしょう。もちろんたくさんの症例を経験することも大事ではあると思うのですが、有名病院だとその症例の大半はそこのスタッフが消費してしまうものです。症例数の多い場所であってもちょっと学びに来たよそ者には回ってはきません。よそ者として何かを学ぶのであれば、そこのスタッフの邪魔にならず、何か少しでも役立つようなポジションで学ぶのが最善なのかなと思うのです。

 大事なのは何を学ぼうと思ってそこに行くのかということ。安直に『良いとされる場所に行けば学べる』と盲信してしまうと、結局その"良い場所"にやりがい搾取されて終わることにしかなりませんね。

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