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世界の形を自分に合わせようとする人たち

 ご無沙汰しております、Dr FJです。
今日は村上春樹の小説を読みながらふと感じたことを書いてみたいと思います。

 最近村上春樹の小説を読んでいます。まぁ、正確にはAudibleで朗読されているのを聴いてるので読んではいませんが。私はその物語の中の空気感がとてもおしゃれだなと思いますし、できるなら自分もそんな感性で生きていたいなと思います。その中に登場するキャラは本当に粋に生きているなと憧れてしまいます。

 しかし、身体の話が出てくると、ちょっと私の中の医学の知識がその心地よい世界観に水を差してしまいます。やっぱり『そんなことはないやろ~』とその道のプロの端くれである私から見るとあり得ないなと思うような話がどうしても出てきてしまうのです。必死に勉強して得た知識ではありますが、こういう時には野暮だなぁと残念に思います。

 でも、当然ではありますが、小説の中ではその作者がルールであり法でありすべての成り行きを決めることが出来る神です。必然的に偶然を引き起こすこともできますし、医学的にあり得ないロジックで病気が治ったりしますし、どんなに身体に悪い生活をしていてもたくましいというキャラを生かしておくことができるのです。まぁ、あくまでその作者がそう思っているというものが小説なので、当然ですね。

 ただ…もちろんですが、現実の世界ではそうはいきません。自然の中にある様々な法則に従わないといけませんし、偶然の出来事は本当に偶然にしか起こらないし、『99%ダメでも1%に全てを賭ける‼』なんてやると当然失敗します。1%ってそんなに大きくはないんですよ、実際は。小さな確率を実際の数字よりも大きく感じてしまう心理についてはプロスペクト理論でも説明されていますが、とかく人は自分の見たいようにものを見る傾向があるのです。

 そして…これは何も小説家だけの話ではありません。『埋蔵金はあります‼』と言って国民を煽動した民主党政権もそうですし、『自分の不動産経営がうまくいっていないのはスルガ銀行の陰謀だ‼』とデモをしている人たちもそうですし、『円を刷ってばらまけば景気は回復するしすべてがうまくいくし給料は上がる‼』と主張するキワモノの政党やエセ経済評論家なんかも似たようなものです。みんな自分がそうであって欲しいと盲信している世界観を打ち出してきましたが、それはどこまでいっても妄想でしかなく、現実世界はそのような単純な形をしていないしそう簡単に真理を理解することなんて出来ないものなのです。世界は善と悪がきっぱり分かれているわけではなくその間の広大なグレーゾーンで成り立っていますし、あなたの生活が苦しいのは得体の知れない巨悪が搾取しているからではなくあなた自身の能力が足りないだけだし、お金をたくさん刷れば価値は希釈していくので結局それで富が増えることなんてありえないのです。

 だから、現実世界で成功するためには、社会のルール、科学のルール、世間のルールをきちんと理解し、独りよがりな妄想に溺れるのではなく世界のルール上でうまく立ち回ることが重要なのです。稀にスティーブ・ジョブズのように世界の形やルールを自分の思うように変えるような逸材が生まれることもありますが、それも結局従来のルールに則った挙動の結果そうなったにすぎないのです。勧善懲悪、努力は報われる、まず行動、人間皆平等、誰にでも才能はあるetc...。そうであったらいいなとは思いますが、現実はそんなに甘くはありません。結局能力がなければ、結果を出せなければいくら努力や行動しようが無駄だし、なんの取り柄もない人間も山ほどいるのが現実です。そんな中で生きてゆかなければならないのが現実世界の我々なので、できることと言えばまずその世間のルールを理解し、自分の能力を見極めた上で動いていくことくらいです…が、それだとちょっと夢がないのもまた現実。現実世界は厳しいので、だからこそ我々は小説などのフィクションに心惹かれるのでしょうね。現実世界に下手なフィクションを持ち込んで破産するなんてことにだけはならないよう注意していきたいものです。

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