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Duchess!

#みんなの文藝春秋

#デヴィッドボウイ

#音楽

flower power

バブル世代までなら60~70年代にノスタルジィがぜったいある。もちろんメジャーばかりだけどデヴィッドボウイやプリンスが入り口になった。ボウイを知らなければイギーポップにも辿り着けない。インスタグラムでコンタクトがとれるアーティストはやはり英国のアートにとって60年代の音楽シーンは出てくる。伝統的な英国の基本を持ちながら他に見られない感覚、

古典的なのにコンテンポラリーな作風の中にはこれはサイケデリックも?そこに他の国には現れない、独特のタブー視されてきた色彩感覚がミックスされている。

MAD チェスターの3月ウサギ

「24hour partypeople」を観たことは?

マンチェスターから出た名プロデューサートニーウィルソンの自伝映画だけどイアンカーティスも話に出る。冒頭のライブに現れる飛び上がってシャウトしまくるポストマンジョン。

郵便配達員をしている音楽ファンがステキ。

イアンカーティスの歌い方がボウイみたいでカッコいいというシーン、成功してイアンは自殺して、曇り空か雨の多い天候のせいなのかそういう自己破壊的なストーリーが英国には多い気がする。今はどうか知らないけどうつ病患者が多い事では有名だったと記憶しているけど。

イギーとボウイのChina girl

じつはデヴィッドボウイのアルバムを買ったのは「Let's dance」と「living the alien」ぐらいしか強い印象がない。特に14才の頃からそれから20代まで人間関係の中にも「Let's dance」はよく出てきた。それが仕事でも恋愛でも。それほどトンがっていない、売れセンのメジャーのミュージシャンだと思うけど「パラノイア=イギーポップ」にジェラシーは、その才能に憧れはあったのか?を考えることが私のフラワーパワーの時代だった。というか、私はいつもそんな気分を、問題(コンプレックス)を自分の内側に深く抱えていたから聴き比べてどっちがいいか?の話になるとディープなイギーポップを私は選んでいた。いつも。

英国風のブラックユーモアのセンス、常にグルーミーな気分はぜったいたしかに天気が原因だと思う。パリの凍る寒さの妖しい漆黒の夜空とイタリアの陽気な雨上がりの陽が差す空の色を私はみたけれどイギリスの空は写真や映画でしか知らない。それでいいのかもしれない。

私のUKミュージックがはじまりとその空気を感じるブラックユーモアの根源に一番最初に出会ったスノッブはルイスキャロルだと思う。16才ぐらいで「不思議の国のアリス」をちゃんと読んだけどそれ以前ならあんまり理解できなかったと思う。それから音楽を聴いても深みを増した。

the first Mandy in Mayのシノワズリ

英国のモード(ファッション)はロックと破壊的なムードに溢れていて魅力的。

たとえばアレキサンダーマックイーン、ヴィヴィアンウエストウッド。

最近マックイーンのドキュメンタリーと「メットガラ/the first Mandy in May」を観たけどマックイーンのコレクション展はものすごく盛況でそれを超えるイベントが成功するか?のテーマが中国だった。英国とアジアのシノワズリを感じさせる内容、これはボウイとイギーのアジア美人を歌った中にも出てくる東洋への渇望へのワンシーンではないかと思える。深い。

それで私は先日ミラノコレクションを自分に買いに行ったけどここ数年で離れていたモードの時代の流れをハッキリ感じた。

それはまさしくインバウンドフィーバー。

2019年から2021年春夏はインバウンドを意識したイメージがぜったいに感じられた!

「薔薇はどんなふうに咲く?」

そして、インバウンドが急に姿を消すことになったその市場には彼らを満足させるはずだったリッチティストは私の手に落ちた。私はその日、また思い出していた。

シルクロードをつなぐ東洋と西洋の在るところ、それは奈良ーミラノにつながって、私たちはいずれミラノに還る。そんな一説を。

「labels or love~モードか、愛か?」

気づいている、それはネガティブにも聞こえる。

でも私はブランド物が欲しい。男女関係ってドが過ぎる。だけどブランド物は私のキモチを傷つけたりしない。

オトコなんてたいしたことない。彼のコト大好き、大嫌い、キスして、ディスって、買ったばかりのヒールで街を歩くの!

the duchess/fergieより


さんどりあんTuesday