July Splendor
7月の誕生日の方に。
ハッシュタグは「#おうちごはん」
7月30日はうれしくもないけれど
わたしの誕生日。
それで最近は誕生日でももうずっとひとりで「おうちごはん(コロナ禍でなくても?)」になる。
コロナ禍にとっては
さびしいとか、わびしいとかは
ふだんよりないかもしれない。
おうちごはんのハッシュタグは
もうどのコンテンツでも定番になっている。
コロナ禍がもたらした
これもひとつの時代を反映した流行語で
ステイホームだとか、テイクアウトだとか
ふだん使うとヘンな気取ったことばが流行った。その前からわたしはすでにツィッターで料理雑誌をフォローしておうちごはんに凝ってはいたけれどお料理熱はつねに再発したままになっている。
「ぼっち」好きなわたしにとって
コロナ禍が苦痛だったことはまったくない。それどころか人との距離感のあるソーシャルディスタンスの日常が心地よくて快適。もちろんイヤだわ、感染したらどうしようっていつもわりとびくびくしてたりするのだけれど。
コロナ禍で獲たものはまだある。
それは自撮りのテクニックやスマホ撮影も格段に良くなって以前とは比べ物にならない、そして
そこから紡ぎだされるたとえば、ストーリーもコメント(ツィートなどの)も、もともとは自分の中に眠っていたものかもしれないけれどSNSとしてかなり上達した気がする。
お料理熱の再発とプチ外交
そんで、なにが特筆かというと
コロナ禍になるまでわたしはそれほどSNS(twitter、Instagram、Facebook etc.…)
にかなり消極的だった。フォロワー数にも興味がないし、スマホ撮影もそれほど多くなくて今なんて毎日ほとんどなにか一つは写真を撮っている。もう4年経つけどスピリチュアルカウンセラーの中野裕弓さんに「SNSは?SNSやりなさいよ!」というアドバイスはその頃じつはピンとこなかった。
なのにいまではツィッターを開けない日が1日もない。
わたしのSNSの市場開拓精神は
常に外国人だけに向けられる。
なぜかというと、日本の市場にそれほどもう魅力を感じないからで過去に衝撃的なインパクトを受けたのはいつも海外アーティストだけだった。SNSがここまで自分の日常に浸透するまではチマチマと本屋に洋書を注文しては取り寄せてもらったりして紙媒体でしかリアルな情報を見ることができなかったので現在はというと、
これはもう画期的というしかない。
トランプ的 強力なアプローチ
外国人のお友達がほしいとは違う。文化に興味があって学びたいとかそういうのも違う。
いつも強力なアプローチをかけるのは
もう決まっているからだった。
やってみてどのぐらい手ごたえがあったかというとわたしのアプローチした海外アーティストはその道ではカリスマなので
日本だけではなくて世界中に熱狂的なファンがいるような人たちでハッキリいって
相手にしてもらえるとはぜんぜん思っていなかったし、これはやりがいある!
作風にどれだけ意味を持たせるか?
ほしくなるようなモノだけを集中して模索する日々。試験的に何度もトライアンドエラーを繰り返す。
それだけ海外アーティストにとっては
あまりにも多くのステキなものや人に会うことは普通の日常だからだった。
わたしは20年以上前から
SNSのない時代にじつはアプローチはかけていた。もちろん、自分では何もできないのでその発信地に一番近い所にいる日本人の先生ばかりに師事した。これは正解だったと思う。「無料=タダのSNS」だということと、
知りあいが間にいるということはものすごく効力があるように感じた。
それで今後どうしたいのか?って
ああ、神様ッ!
mayaya(Tuesday)