フェミニンリーダーシップ
「人生は手持ちのカードで勝負するものだ。そしてカードをどう使うかは本人の選択次第である。/ジョンCマクスウェル」
NEW Elite的なリーダーシップ
「明日クビになってもいい準備をしろ/ピョートルグジバチ」
日経WOMANでピョートルグジバチさんの記事を読んだ。もとは共産主義国で育った人の言葉は魅力的で力強く響いたけどよく考えたらその中にまだいるワケではなく、現在はGoogleで成功した人の話だというのをウッカリしていた。
ポーランドのアウシュヴィッツ近くに昔行ったことのある友人の話だともう共産主義ではなくなっていたけど暗い影はあって、いろんな意味で覇気がない国だと言っていた。
ポーランド人は昔ナチスにユダヤ人を売った暗い過去の十字架を背負って生きている、それをいうならほとんどの国も戦時中は相当な事を他国の民族にしているハズなのに第二次世界大戦で負けた日本とドイツは永遠に言われ続けるコトになっている。
私の世代は戦後の高度成長期だったのでもちろん戦争を知らないし、10~30代はいい時代を駆け抜けた。申し分なくそれに豊かだった。
テレビを自宅でみていた頃はネガティブなニュースも時々感じた。終戦記念日近くになると一斉に生々しい映像が流れたり被害者がインタビューされている。その頃を知らないのに軽いトラウマのようなショックがいつもあった。特に南京大虐殺とか慰安婦問題を(私が20代の頃はまだ生存者が多かった)テレビに映って当時の事実を語りだすと体が硬直するような感じがして、とても気分が落ち込んだ。実際に虐殺があった場所が映って被害者が目の前で家族が殺されるのを死んだふりをしてみていた話がはじまると今は静かな田舎の村の風景がよけいに焼きついて離れない。
いつの世も名将は疎んじられる
硬直した気分がずっと続いた瞬間、いきなり国会議事堂が映ると時の総理大臣の細川さんが「あれは侵略戦争だった」と言った瞬間に私の硬直が解けた。
これはすごい事だと思った。
小さな事だけどこれが革命だと思う。私は細川さんがそれほど好きなワケでも政治に興味があるワケでもない。
歴代の、田中角栄でも言えなかった日本のエリートのトップがそれを認めた瞬間。
細川さんはそのひと言を言うためだけに総理大臣になった。それでいい。
だって誰もできなかったし、タブーだった。
好みもあるけど私はジョンマクスウェルのリーダーシップ論が一番よかった。TSUTAYAでなんとなく借りたビデオでジョンマクスウェル氏が来日した時の講演会。
「あなたは誕生日もクリスマスもなにをしますか?」の通訳の問いかけに
「読んで、考え、書いて、ファイルします」
これを何度も繰り返す講演会のラストはとてもテンションが盛り上がる。リーダーシップとは、他の大勢を上手く取りまとめる事ではなく自分ひとりの孤独なルーティンだとハッキリそう言っている。
ある日、曽野綾子さんの本に戦後補償を税金からしてやるべきだという本をみた。
私はホンキでそのつもりがあるなら富裕層や識者の中で最初に密かにそれを実行すればいいのに、(そんなにそう思うなら)と思う。「皆平等」という考えかたはクセモノだと思う。コロナ禍の世の中になって初めてそういう事がハッキリ見える。豊かで平和すぎるユルい環境の中では鈍感で、そういう危機感なんて少しもない。
手持ちのカードをふやすこと
リーダーシップ論に、特に有識者だというリーダーシップ論に振り回されてはいけない。
SNS上で私は信じられない感覚を何度も感じた。インテリの意見を鵜呑みにするのはよくない。
だいたいは冷静に見たらただのヒマ人の人を扇動して焚き付けて面白がっているようなそういう下品な感じを受ける。真に受けてバカみたいなコメントを右翼や左翼気取りで書いてエラくなったような気分になるのはすごく危険。
リーダーシップ論を実践するなら、またする気なら
どんなゲームであっても
どんないろんな状況になっても、その時にはこのカード、また違う状況にはこのカードを、そういう経験と体験から集めた手持ちのカードを多くふやして持つことではないかとワタシは思っている。
6月15日から新しいお財布に。
Tuesday/さんどりあん