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EMOARUHITO vol.6 アカサカ①

仕事を終え、しっかりとマスクをして、久屋大通にある会社を後にした。
去年の冬に、恋人に少し支援してもらって買った上等なカシミヤのコートを羽織っても、耳や指先に冷たさを感じる。
食品メーカーで働くアカサカは、営業も兼ねて金曜日の夜は得意先の店に飲みに行くことにしているのだった。
やはり顔を見て直接やり取りをしたり、ある程度の席間隔を取ったとしても、ガヤガヤとした空気を感じられる時間は格別だ。
去年の今頃からじわじわとその重要さを認識してきたアカサカは、今日も行きつけの酒場に向けて、夜の街へ繰り出した。

時間は18時をまわり、夜が動き出したばかりの時間だが、人通りは少ない。
2年前に比べると、このあたりも夜楽しめる場所が減ってしまった。

世界を覆い尽くし、200万人以上の死者を出した感染症は、それまでの価値観を一変させた。

近くの人のことを思いやって、国民全体で新しい生活を送ろうとした「ステイホーム」は、飲食従事者を窮地に追い込んだ。
あちらが立てばこちらが立たずとは、まさにあのような状況のことを言うのだろう。
自分にもっと、彼らをサポートできるだけの営業以外の知識やノウハウがあれば。少しでも顔を見知った人々に手を差し伸べることができたかもしれない。そう考えて、プログラミングの勉強を初めて半年ほど経ったが、まだそれを活かす機会には恵まれていない。

ワクチンが完成し、比較的安価に手に入る世の中になった今でも、マスクを付けるという習慣はもう当たり前になった。今やマスクをしていない人はいない。下着や衣服と同じといえる存在になった。
高校や大学では、家庭の事情でワクチンの打てない学生たちが、密やかに距離を置かれているとネットニュースで目にしたことがある。
結局開催できなかったオリンピック。次々と閉業に追い込まれる観光地産業。航空券は要人のための高価なものになり、下がってきたと言ってもまだおいそれと手が出る価格ではない。これだけの価値観の変化を、一体誰が予想しただろうか。世界で起こっていることは、本当に現実なのだろうか。ここ2年間、おかしな世界を生き続けている。そんな感覚を、アカサカは抱き続けていた。

思慮を巡らせている間に、行きたかったお店にたどり着いた。
が、いつもの"のぼり"やパトランプが出ていない。
店先に貼られた貼り紙に目を遣ると、そこには「閉業」と控えめな字で書かれてあった。
(もしかすると、文字通り泥水をすするかのようだった2年前から、騙し騙しで続けていたのかもしれないな…)
(取引は多くはなかったが、相談してもらえるまでの関係にはなれなかったか…また一人、誰の力にもなれなかった。)
胸に深く突き刺さるような悔しさと物悲しさを覚えたアカサカは、店先で煙草に火をつけて、少しの間、思い耽った。今日はもう、帰ろう。

小幡にある借家に帰るため、栄町から名鉄瀬戸線に乗る。
普段は風景の一部のように感じていた看板が、なぜだか今日は目に入った。
ちょうど発車間際でホームに停車していた普通電車に乗り込み、数駅で清水駅に着き改札を出ると、街頭は少なく、夜道は暗い。しかし、どこからか体の芯に響くような、低い音が聞こえてくる。

「こんなところに、、ライブハウスか?」

エントリーモデルのギターは4年前の引っ越しで売ってしまったが…
学生時代にコピーバンドをしていたアカサカの気持ちが、少し前向きに動いた瞬間だった。
「今日は、本当にいろんな出来事があるな。」
ほのかな緊張を感じながら、ぐるりとまわって入り口に向かった。

(2022年12月9日 金曜日)

続く

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