見出し画像

【親友回顧録】幸運なり我が人生③

わたしとジヨンは本当に似ていた。食べ物や身に着けるもの、身近に置いておくものの好みだけではなく、生きるペースや思いつく内容とそのタイミング、朝起きてから仕事に取り掛かるまでのルーティンといった、わたしたちをわたしたち「たらしめている」ことの諸々が似ていた。

わたしたちは明るさよりも暗さの目立つ子どもだった。アジア人であり、女であり、職業を持っているわたしたちには、いつだって「差別」が身近で、それと闘っていた。

研究会に行ったら他は全員男性で、祝辞を述べた会長はジヨンを飛ばして両隣の男性と握手して進んでいった。欧米の顔ばかりが並ぶ会場で、黒髪のアジア人は子どものように扱われる。女であればなおさら、透明になったような感覚でそこにいることになる。

そんな感覚をわたしたちは共有していた。少しマシな対応をされれば「あの人は優しかった」などとコメントしてしまい、慌てて「いや、あの人は普通だったんだ」と自分たちの曇った眼をこすったものだ。

わたしたちは仕事面でも心強いバディだった。
「こんな本があったよ、翻訳リストに載せておこう」「日韓同時に翻訳して世に出したらどうだろう」「これはきっとまだ早いね、寝かしておこう」「食品会社がね、HPに乗せる連載の執筆依頼くれたよ。最初のエッセイにはわたしたちのこと書いたよ」
40に満たない若い翻訳者たちはこうして言葉を交わし、わたしたちは希望の塊だと信じて疑わなかった。

「二人で同じ本を読んでルポみたいにオンラインで紹介したらどうだろう」

わたしたちは再び同じタイミングでお互いにそう持ち掛けた。日韓で公平に利用できるサイトは見つからないが、とにかくお互い「書いて発表する」目的に適うサイトは確認済みだと話がまとまった。あの年二度目のジヨン来日の時だ。わたしが日本語で、ジヨンは韓国語で書き公開する。計画ばかり練っても仕方がない、わたしたちはとっくにweb記事を書いた経験があるのだから、早速始めようとテーマを考えた…といいたいが、考えるまでもなく異口同音に一つの言葉が発せられた。

最初のテーマは「友だち」だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?