見出し画像

人魚の眠る家

人魚の眠る家
東野圭吾
【あらすじ】
幼い娘瑞穂がプールで溺れ、脳死状態に陥ったことから始まります。
両親である播磨薫子と和昌は、娘の臓器提供に同意するかどうか悩む中で、最終的に決断を先送りし、瑞穂を家で看護することに決めます。
しかし、最新の医療技術を駆使して瑞穂の体を維持するうちに、家族の絆と道徳的ジレンマが浮き彫りになっていきます。


「人魚の眠る家」
今回初めて書籍で読みました。
映画化しているのは知っていましたが、事前情報はあまりない状態でした。

センシティブな内容です。
好きとか嫌いとかで判断できない複雑な気持ちになりました。

「死ぬ」とは何なのか。
「もう死んでいる」「まだ生きている」。

同じ瑞穂を見ながら、生きていると思う人もいれば、死んでいると思う人います。
もし私なら、話を聞いただけなら「死んでいる」と思うけど、実際に瑞穂に会ってその体温を感じたら「生きている」と思い直すのでは?と思います。

不気味だと嫌悪感を示す人の気持ちわかります。
瑞穂を支える技術がなければ、体温や血圧を保つことができない体だということを考えると、自然ではないと感じるのだと思います。
多津朗はこれを「神への冒涜」だと言います。

ではどこからが冒涜になるでしょうか。
それは人によって境界線が異なります。

薫子がわが子に対してできる限りのことをしてやりたいと思うことは自己満足かもしれないけど、瑞穂に対する愛情であることは間違いありません。
瑞穂がどう思っているかは(脳死状態なので)わからないけど、生きている人が幸せだと感じられるならば自己満足でもいいのでは。

ただそう思えるのが、薫子が自分の身内ではないからだということは分かります。
もし自分の親がそうであったなら、耐えられるものではありません。

結局、立場が違えばとらえ方も変わるということ。
真実はいつもひとつ、とはいかないのだと思いました。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?