見出し画像

球団ヒストリー39.断腸の思い?

「やる気のない者は辞めてもらいます」

「やる気のない者は辞めてもらいます」
2011年11月、鹿児島中央公民館の会議室で、球団代表から選手たちにそう言い渡された。

週末2日間だけにもかかわらず、参加者が数人のこともあったという鹿児島ホワイトウェーブの練習。
「まじめに練習している連中がバカバカしくなる」。

こんな状態ならやってる意味ないんじゃないか、とは、きっとこの後も何度か感じるのだろうけれど、球団として断固とした行動に移したのはこのときが初めて。

この会議の模様はKTS鹿児島テレビで放送されていて、鹿児島ドリームウェーブHPやyoutubeからアクセスできる。私もこれを見て流れを理解したし、その重苦しい空気を想像して胸がキュッとなった。

https://youtu.be/uSvIKRmvFEc

当時を知る人の話は

が、当時を知る人に話を聞いたら、なんだか違うぞ。

お話を伺ったのは、2009年からマネージャーをされてい順子さん。
実は今も現役のマネージャーさん。途中退部したこともあったそうだが呼び戻され、今となってはいちばん在籍の長い部員となっている。
もともと代表の國本さんとは呑み友だちだったそうだから、現場の選手たちと運営側をフラットに繋ぐ稀有な存在である。

呑み友だちとはいえ事前に相談はなく(当たり前か)、順子マネも当日初めて聞いた内容だった。

静かな中で言い渡された宣言。
代表が数人に話を聞いていく。
それぞれが現状の考えをぽつりぽつりと話す。
神妙な空気。

が、一人の選手が真剣に発した言葉が突拍子もなくて「もう爆笑!」だったと。内容ははっきり覚えておられないそうだが「だから、テレビであったみたいに暗い雰囲気がずっと続いたんじゃなくて、『あのときアイツがおかしなこと言って爆笑だったよね!』っていうのが選手たちの思い出」だそう。

重苦しい雰囲気だったのだろうと思いこんでいる私は、実は恐る恐るお尋ねしたのだけれども、笑い声で答えてくださった。

「たしかに幽霊部員のような、ほとんど練習に来ていない選手もいたけど、ちゃんと来てる選手もいた。在籍してるけど来られずにいた選手は、それぞれに事情があったと思います。当時は就職の斡旋もなかったから所属企業の理解もなかったし、家族を持ってる選手も多かった。彼らにとっては、区切りをつけるきっかけになったのかもしれないです」

その後、練習に来ていない選手たちには代表から個別に意思確認をし、もちろん退部となった人も一人二人ではなかった。

「でも、辞めたのはそれ以前から練習に来てなかった人だから。練習の人数が大幅に変わったという感じはなかったですよ」。

順子マネの胸に、悲観はほとんどなかったようだ。

仕掛けたどん底

「仕掛けたどん底」。
國本代表はこのときのことをそう表現した。
だからさほど不安はなかったし、リスタートの予測も立っていたようだ。

断腸の思いが全くなかったわけではない。
でも、野球に集中する環境を懸命に整えた運営側にとっても、在籍はしていたものの参加できなかった選手たちも、もしかしたら長く抱いていたモヤモヤを払拭するいい機会だったのかもしれない。

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いいたします。 いただいた資金は、取材などの活動費に使わせていただきます♪