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食にまつわる思い出

私は最近の流れから、真実を思い出す段階に来た気がしている。

気がするだけで根拠は無い。

でもそういう気がするのは、大概当たっているものなのだ。

私はこれまでの半生から、食にまつわることと私は非常に結び付いていて、今のタイミングで、その思い出を文章にして、浄化させる必要があると、宇宙が伝えてくれているように感じる。

ありのままにnoteに記そう。

私は肉と魚が苦手だ。

幼い頃は今よりももっと食べられなかった。

肉は赤身は血を連想させ 脂身はギトギトしていてどちらも気持ち悪く、魚は骨が恐ろしくてそれに生臭いのが嫌だった。

私の気持ちなんて家族の誰も分かってくれない、どの料理にも大体肉か魚が当たり前に入っている、それを丁寧に選別して はじき出し食べる私は、家族から変な子として映っていたことだろう。

いつの頃からか母は、そんな私の為に、肉はミンチ肉を頻繁に使ったり、骨が多い魚よりも切り身の魚、しかも生臭くならないように、しっかり火を通し身がパサパサになるような感じで出してくれるようになった、それに加工品のハムやウィンナーやかまぼこや竹輪も加わった。

これに真っ向から異を唱えるのが父だ。

父はミンチ肉が大嫌いで、火を通し過ぎた身がパサパサになった魚も許せない人だ、更には父は加工品が余り好きではない。

だから母の負担は増える、家族に合わせ材料や調理法を使い分け、食卓に出してくれていた。

今思うと母の疲れた表情は、当然のことだったと理解できる。

私が出されたものを何でも美味しそうに食べられたなら、母ももっと楽ができたかもしれない。

親戚の家にお泊まりすることになり、私は非常に憂鬱だった。

父の妹である叔母は、イマイチ料理が苦手で、私は彼女の料理を美味しいと思ったことはなかった。

ある日のお昼はお好み焼き、しっかりと脂身たっぷりの豚バラ肉がのっかっていて、見ただけで、胃が拒否ってギュルギュル捻れる感覚がある。

叔母が言う「残したらあかんで!作ってもらったらちゃんと食べるのが礼儀や!」

私はそんなプレッシャーをかけられても、この世で一番苦手なのが豚の脂身なんだから、絶対に食べられない💦

私以外の弟たちはバクバクと完食して、私を益々孤立させてくる。

でも結局大半残してしまった、とても気まずくなった思い出。

この気まずくなるシチュエーションは何度も体験した。

叔母一家の新居に親戚が集まった席で、叔母の自慢の料理が出された、そのにゅうめんには、しっかり豚肉が入っていた、私は食べられずその時も残した。

社会人になって、総務の女子社員が結婚して、そのお祝いを持って、親友のTちゃんと新居へお邪魔した時、手料理を振る舞ってくださった。

その日のメインに鶏肉たっぷりのにゅうめんが出たのだ!私は鶏肉の皮が凄く苦手で食べられない💦

Tちゃんは好き嫌いなく何でも食べられるので、美味しそうに完食していた、私はどうしてもムリなので、失礼とは思いつつ残してしまった、これまた気まずくなったのは言うまでもない。

結婚して子育てに追われていた頃、ママ友に誘われて喫茶店でランチをいただいた。

日替わりランチのメインは、茹でたホタテで貝柱だけなら全然大丈夫なのに、ホタテ丸ごとだった、しかも生臭くて吐き気がした、何もソースらしきものも添えられていなくて、茹でただけのホタテをそのままどうぞというメニューに、呆れるしかなかった。

でも向かいに座ったママ友は完食していた!私はどうしても食べられない💦だから残すしかなかった、お皿を下げに来た店員さんが、私のゴロゴロと残されたホタテの量を見て、怪訝な表情をした、私は穴があったら入りたいくらい恥ずかしく気まずかった。

私が料理を作る側になって気まずかった思い出がある。

元夫と結婚してマンションに住み始めた頃、
母と祖母が遊びに来てくれた、私は張り切って手料理を用意した。

母は美味しそうに完食してくれた、でも年老いた祖母は、食べなれないメニューに苦戦していて、ほとんど残していた、私は祖母の好物を知らず、申し訳なかったと思った、母は私に気を使い祖母に言った「もう💢こんなに残して!娘が一生懸命用意した料理を残すなんて失礼やで!私が食べるわ!」と。

そして母は無理して祖母の残した分も完食してくれた。

愛情深い 母らしい気遣いだった。

私は祖母の気持ちがよく分かる。

食べたくても、食べようとしても、どうしても食べられない時というのはあるのだ。

作った人に申し訳ないからと、無理しようとしても、吐き気が襲いもっと最悪な事態になる可能性がある、だから失礼を承知で残すしかない、私は料理を出す側と食べる側の両方の心理を体験して、残す行為が悪いと決めつけるのを止めようと思った。

こうして食にまつわる思い出は無限に出てくる。

食べるという行為が 生きる原動力になっている この世界だからこそ当然で、ネタの宝庫と言えるのかもしれない。

これからも私の食にまつわる思い出を、noteに記していこうと思う。


ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️












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