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ジャッジを手放しどんな自分も愛すると決める

ついに中国の歴史ドラマ コウラン伝(始皇帝の母)の最終回まで全62話を観終わった。

ここに気づきを記しておこうと思う。

人は善悪を常にジャッジする、特に私は罰や非難を恐れていたので、絶対にジャッジは必要で、悪いと思うことを避け、常識的であろうと必死だった。

でもそれは全て私の思い込みだ、それが映像化して幻を見ていただけなのだ。

例えば 夫婦は絶対最後まで添い遂げなければならない、と強く思い込んでいた、だから沢山の分岐点があっても、何度も元夫との生活を選択して我慢し続けた、そしてもう二度と男性を好きになることはない!と恋心を封印したのだ。

良き母親でいる為に、離婚して新しい恋愛なんて考えられなかった、それは全て自分の思い込みなのに、自分を律して常識的であろうとしていた。

もう自分に嘘をつくのは止めようと思う。

この人生で再婚するかどうかは考えなくていい、それでも私は人生のパートナーを自分に許可しようと決めた。

私はドラマを通して、元夫にどんなふうに扱われたかったのかを知った、特別な存在として大切に接してもらいたかったのだ、それだけで私も元夫を大切に思えただろう。

ドラマに登場する 私が最も好きな人物が、後の秦国の王となる異人、主人公のコウランに対する彼の接し方が素晴らしい、いつも宝物のように大切に思っていることが表情や動作に表れていて、深く愛するとはこういうことだと教えてくれる。

最終回まで観てわかったことは、決して異人が無償の愛だけをコウランに向けていたのではなかったということ。

王という立場を利用してコウランを自分だけのものにする為に画策していたことがうかがえた、でも今の私はそんな計算高い異人さえも愛おしく思える。

つまり私は計算高いし独占欲が強い人間なのだ、自分だけを大切にしてくれることを望む性質で自分のものにする為に画策せずにはいられない性格だ。

どれもジャッジして遠ざけていた私の欠点とも言うべき性質、私は元夫がその部分を引き受けて鏡として見せてくれていたことに気づいた、だからあんなにも憎らしかったのだ。

元夫は常に計算して自分が有利になるように画策する性格だった、それはまさに私そのものだったのだ、見ないようにしていた自分の嫌な性質とやっと向き合えた、これもドラマを観たおかげだ。

もう計算高いことや独占欲が強いことを悪いとジャッジすることはない、私はその性格をそれが私だ!と受け入れられる。

ドラマの中で一際輝く存在だった異人が、教えてくれたのだ、最も愛した人を手に入れる為に、計算高くチャンスをものにして画策して自分だけを見てくれるようにすることは、醜いことではないと、元夫から異人に変わり、鏡として見せてくれたのだ。

私は確実に自分を好きになっている、どんな自分も愛おしい、宇宙は的確に完璧に導いてくれている。

幸せをありがとう♡

ここまで読んでくださって感謝します。







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