心がざわつく出来事
今回は私の偏見について記そうと思う。
そしてその思い込みを手放そうと決意した。
私は非常に苦手で軽蔑している性質の女性たちがいる。
それは、男性に対しては媚びるような態度なのに、同性にはあからさまに態度を変えるタイプの女性だ。
若い頃から私はそういう女性たちに、不愉快な思いをさせられてきた。
印象に残っている出来事は、今から15年以上前のこと、空港の飛行機を子どもたちに見せる為に出かけた時、お土産に洋菓子を買って帰ろうとお店に入った。
その時店員は若い女性が一人で、男性のお客の応対をしていた。
とても愛想良く応対している、そしてそのお客が去っていくと、私の番になった、途端にその若い女性の店員は表情が変わり、私に対して冷たい態度になったのである。
その上、私が言うことにイチイチ反応して、何度も聞き返すのだ、私の発言は全く理解出来ない とでも言いたげに冷めた目で私を見てくる彼女に、さすがにムカつき💢私の言い方もキツくなる。
結局もう一人のベテランの女性店員が奥から出てきて、私の応対をしてくれたので、その場はおさまったのだが、あのままだったら私は何も買わずに店を出て行っただろう、本当に気分を害する出来事だった。
それ以外でも、似たようなパターンは多々あった、その頃は、目の前の出来事に翻弄されて、深く自分の気持ちに向き合う余裕がなかったけど、今こそ この思い込みをしっかり認識して手放す時だと感じる。
というのも、今日まさに不愉快な出来事があったからなのだ。
スーパーのレジに並んでいた時、私の前は若い男性のお客で、レジ担当は若い女性の店員、何か親しげに雑談をしている、その男性客が去り 私の番になると(いらっしゃいませの挨拶もしない)、若い女性店員は表情がサッと変わり、ムスッとしたのだ、そして乱暴に商品をレジに通してカゴに入れていく、私は心がざわつくばかりで、とても嫌な気持ちになった。
その一方で、私の偏見が映像として現れたんだと冷静に見ている自分を感じた。
私は異性に対してあからさまに態度を変える人を軽蔑している、老若男女 皆 平等に対応することが正しい!と決めつけていたのだ。
でも真実は良い悪いは関係ない、自分が勝手にジャッジしているだけだ、そして自分がどうありたいかを問われている。
私は全てが平等の世界で生きていく、だから今までの偏見を手放し、自由になる。
男性だからとか女性だからとか、そんな枠に囚われず、この世界には愛しかないと信じて、私も愛で接していきたい。
女性たちに敵対視されて惨めにうずくまる私に、悲しかったね、悔しかったね、反撃してやりたかったね、と寄り添い、そして惨めな寂しいひとりぼっちの私を卒業しよう!
私は愛で満たされた美しい世界で、自分の本当の姿で輝き生きていく!
優しい美しい眼差しの 茅子俊さんを見つめていると、ざわつく心が一気に丸くなり癒されていく。
覚えた中国語(中国語特有の漢字は変換できないので読み方だけ記します)
不 要 (ブ ヤウ) いりません
ブ ヨン ザウ おつりは結構です
不用 了 (ブ ヨン ラ) 必要ありません
タイ シェシェ ラ 本当にありがとうございました
幸せをありがとう♡
ここまで読んでくださって感謝します。
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