全部がそのままで完璧な世界
私は膨大な数の思い込みや決めつけで、世の中を見つめて生きてきたことを今実感している。
それも最初から組み込まれたことで、私が愚かだったからではないのだ。
思い込みや決めつけは、この世界を信じ精一杯味わい尽くす為には必要だ。
ゲームをしていても、これが最初から全部決められていて、自分の操作では何一つ変えられない、なんて解っていれば、ちっとも楽しめはしない。
わからないから面白いし、真剣になれて 喜怒哀楽を思う存分出せるのだ。
今改めて思うのは、例えば宝くじも、当たるとか外れるとかで一喜一憂してきたけれど、当たればラッキー、外れたらアンラッキーと思い込まされていただけで、その逆に 当たるのはアンラッキーで外れがラッキーだと思う世界も存在しているかもしれない。
全部が私の思い込みが映像化した鏡の世界だと知った今、くじ運の無い自分にガッカリして落ち込んだ日々さえも愛おしくなってくる。
こうだからこうなるという決めつけが、余りにも多すぎて、そこにこだわり自分を縛り余計に窮屈にしてきた。
この窮屈さも、私の魂は味わってみたかったのだろう。
何度も何度もチャレンジして、失敗を繰り返し、もう諦めようかと半泣きになりながら、また立ち上がりチャレンジすることも、魂はとても喜んでいたのだろう。
恋する人に告白する度にフラれ、一晩中泣き明かし、又めげずにその人を追いかけたあの頃。
そして卒業後にその人に喫茶店で話そうと言われて、折角のチャンスにも関わらず、何故かそんな畏れ多いことが、こんな私なんかには許され無い!と強く思い、懸命に断った私、そのことで私の全身全霊をかけた初恋は幕を閉じた。
それも全部が想定内の始めから決まっていたシナリオ通りだったのだろう。
うまくいかないことが、魂の喜びに繋がっていたとは!今さらながら苦笑いしてしまう。
それほどまでに、本当の私である創造主は、思い通りにいかない体験を望んでいたのだろう。
私はアバターとして、その体験をたっぷり提供できたので、既に使命は果たせていたことになる。
確かに、思い通りにいかないもどかしさや悔しさは、精神を成長させる。
そしてどんどん思いやりのある優しい自分になっていける。
不便な暮らしのおかげで、試行錯誤しながら工夫して快適な方法を獲得していく喜びを味わえる。
何でも始めから魔法使いのように 簡単に出来てしまったら、感動もない味気ない人生でしかなくなる。
だから今も、脳は何とかしなければ!と焦って私を動かそうとしてくるけれど、全部完璧に組み込まれた世界を生かされている、というのが真実なのだろう。
本当の私は安心安全なところから、私を愛で見守り満足してくれている。
こうして理解が深まることで、“個”である私も安心できる。
自分ではどうしようもない事が確かにある。
それは宇宙に任せればいいのだ。
私は見えている世界に目を凝らし、細かくチェックしてジャッジしてきた。
そしてその不具合を自分のせいにして、どうすればいいんだろう💧と悩み苦しんできた。
でも少しずつ、宇宙の法則が自分の内側に浸透することで、この不具合は私の責任ではない、魂が望んで敢えてそうしていたとわかってきた。
そうしてやっと自分を責めることが減って、心から安堵して許せるようになった。
この穏やかな安心感は確かなものだ。
私は今、完璧な世界の中で主役を演じさせてもらっている。
その貴重な体験を恐れることなく、安心して楽しんでいこう♪
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️
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