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失敗しても寛容になった

昨日は思いきって遠出をして、ワンコのこゆきのドッグフードをコーナンまで買いに行ってきた。

自分に厳しかった頃の私は、認めたくなかったのだけれど、実際 私は非常におっちょこちょいで、せっかちで 全部を把握するのが苦手な為、一つの事に気を取られ早合点してしまい、恥ずかしい失敗をやらかす天才なのである。

これはある意味命の危険も伴う時だってある。

私は何度も車に衝突されそうになったし、自転車やバイクや人にも、挙げ句には電柱にもぶつかりそうになってきた。

どういう訳か?危機一髪で惨事を回避できるパターンの連続で、有り難いことに今ここで私は生かされている。

最近は心ここに有らずな感覚で、夢遊病のようにふわふわしてしまい、余計に失敗が増えている気がする。

昨日は土曜日だったのに、市役所の中を通り抜けて近道しようとしたり(娘によるとちゃんと立て看板に通り抜けはできませんと表示してあったらしい💦)、横断歩道の信号が青に変わってないのに 渡ろうとしたり、冷静な娘が私を止めてくれたおかげで、無事に帰宅することができた。

こんな時、私は完璧主義な自分にあるまじき事態だ!と大ショックを受け、いつまでも失敗した事を引きずり、何日にも及んで自分を責め続けたものだ。

恥ずかしい~!と失敗のシーンを脳内で何度も再生して、バカ!と自分を叱責するのがお決まりだった。

昨日の私は、確かに恥ずかしい気持ちもあったけど、特に引きずることもなく、いいやん!早合点する私もせっかちな私も可愛いやん!と思えた、そして冷静な娘のおかげで無事だったことを、心から感謝できた。

今日も失敗に気づいた。

最近はブームのように私は無意識に娘のシャツを、自分のものと勘違いして着てしまっているのだ。

洗濯しようとして、やっと気づいた、私が今着ているタンクトップは、明らかに娘のものだと。

やだ~!またやっちまった💦ごめんね~!

娘にも正直に謝った。

娘は全くそんなことを気にしない。

別にいいよ👌と凄く寛容なのだ、それがとても有り難い。

私は以前にもnoteに書いたことがあるけど、自分は娘よりも汚ない穢れた人間だと、何処かで思い込んでいるところがある。

だからこんな私が、娘のものを勝手に着て、娘はそれを汚らわしく思うのでは?と恐れている。

それほどまでに、私はプライドが高かったとも言える。

でも今は、かなり自分を許し、自分に寛容になってきている。

だからそれを娘に投影させて、私の失敗を娘は笑って寛容に受け入れてくれるのだと思った。

全部が一人芝居の幻想なのだから、当然なんだけど、見えている世界があまりにもリアルな為、どうしても入り込み、自分と相手を分離させて捉えてしまう。

そして勝手に傷ついたり、不満に思ったり、ネガティブな気持ちに囚われるのである。

本当にこの世界はよく出来ていると感心する。

私は昨日の失敗や最近の失敗を、笑って許せるようになった。

それがとても心地よく、嬉しくてたまらないのである。


ここまで読んでくださって感謝します。

幸せをありがとうございます✴️







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