若手クリエイターが考える才能の息吹かせ方〜勉強編〜
お疲れ様です。
少し間が空きましたが、今回第4回。
今日は、勉強についてお話したいと思います。
大人になってからの勉強って、なかなか難しいですよね。
インプットの時間も限られているし、はたまたインプットだけでは頭でっかちになってしまうし、というのが私の最近の悩みでもあります。
という感じなので、私の中ではまだまだ定まっていない自分なりの勉強論ですが、改めて勉強について考える時間を取りたいです。
クリエイターにとっては、一生勉強を続けていくことが不可欠。どうせやるなら、楽しく有意義に勉強したい。自分のやり方に固執せず、どんどんと色々な方法を取り込んでいきたい。
ということで、このnoteを読んでの皆さんの感想や普段の勉強法も、コメント欄などでぜひぜひ聞かせてください。
強制的にアウトプットせざるを得ない環境をつくる
楽しく勉強したい割には、「強制」という言葉を使ってしまったのですが、まずインプットだけを目的にしないことが大事だと思います。
理由は何でもよいと思いますが、具体的なアウトプット環境を想定して、そのプロセスで勉強していくということを私自身心がけてきました。
よく「アウトプットまでがインプット」と言われますが、インプットしてからのアウトプットと思うと腰が重くなることも。
アウトプットの場面があらかじめ設定されていると、そのためにやる勉強もかなり有意義なものになるし、何よりアウトプットをせざるを得ない。
それに、アウトプットを想定して言語化していく中で学ぶことって「つくる中で学んでいる」状態だと思っていて、その状態で学んだことはなかなか忘れにくい気がしています。
アウトプットして得られた反応やフィードバックも含めて、自分の勉強になります。
わたしのnoteについても、もちろん皆さんに見てもらいたいという目的はありつつ、自分のために強制的にアウトプットの環境をつくっている側面があります。
わたしがさまざまな講座(課題があるようなタイプ)に通ってきたのも、アウトプット環境をつくるためという理由が大きいかもしれません。
身体を伴うこと、心を動かすことが一番の勉強
対面講座や本だけでなく、オンラインでの勉強会など、昨今はさまざまな勉強方法があり、とても充実している気がします。
(広告業界だけなんでしょうか?他の業界のことも知ってみたいです!)
そんな中でも、私が一番価値を感じた勉強法は、「会いに行って、話を聞く」というものです。
会ってみたい人とリアルで会話をし、その中で感じる熱量や引っ張られるような魅力、洗練された話し方など、内容はもちろん、それに付随する副次的な情報から学ぶことが多かったです。
そして、人に会うことに限らず、足を運んで生で感じた感動はなかなか忘れることがありません。作品や食や、空間など、人以外にも対象はたくさんありますよね。
とにかく現場に行き、そこで心を動かすこと。
身体を伴うこと、心を動かすこと。
これが一番の勉強なのかもしれない、と思っていたりします。
でも、すべてを勉強だと思いたくない
ここまで勉強の話をしてきたのですが、とはいえ「遊びも含めて、全てが勉強」と初めから捉えてしまうとそこにある生身の体験が途端に面白くなくなる気がして悲しいんです。
例えば美術館に行ったときの、絵画鑑賞。
わたしは初めからそこにある作品の文脈を強く意識してしまったり、「この構図って使えるじゃん!」と勉強モードになって、なかなか絵画そのものを感じることが出来なくなっていることに気がつきました。
情報抜きに純粋に心を動かされることが先にあっていい。
そこから、その揺さぶられた経験を言語化してみたらいいんだと思うんです。
こんな結論で終わるのもどうかと思いますが、初めから「勉強」を意識しすぎずに、その場で反応することをまずは大事にしていきたいです。
「勉強」にするのは、思ったより後でいいのかもしれないですね。
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