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伊豆の踊子


道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。

伊豆の踊子の書き出しである。

ふと思い立って天城峠を歩いてみた。
両側から路を覆う樹々はすっかり色づき、足元からは落ち葉をふむサクッサクッという音が心地よく聞こえてくる。晩秋の昼下がり、人影のない坂道をゆっくりと登っていった。

私の眼には二十メートルほど先を行く、旅芸人の一団が映っていた。何やら談笑しながら歩いている。何を話しているのだろうか。時おり楽し気な声が聞こえてくる。ふと薫の横顔が目に入った。若く清らかな笑顔だった。

天城峠をはさんだほんの数分間のできごとである。確かにそこには踊子たちがいた。そして私は学生であった。

伊豆の踊子は若き頃に一読したきり。恋愛小説だとばかり思っていた。
歳を重ね、あらためてページをめくってみると、なにかが違うような気がしていた。それが何であるのか、ぼんやりとしてよく分からなかった。

が、こうして天城峠を歩いてみると、その違和感の正体にようやく触れることができたような気がする。

船の中、なにゆえ学生は涙したのか。今になってようやく気がついた。

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