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100.一日一善の底力

アユレムさんのこの記事を読んで、思い出しました。

昔、ある時期に、「一日一善」を実行していたことを。

アユレムさんの見たヒーローみたいに、すごいことはしていません。

荷物を持った人のために、ドアを開けてあげたり。
電車でいつも降りる駅より少し早めに、立ち上がって、席を空けたり。
道に落ちているごみを、拾ったり。

毎日続けるには、自分がしていて、負担にならない匙加減が重要。
疲れたら、無理しない。
それでも、「変に思われないかな?」「嫌がられたら?」って考えてしまうし、実際に、行動に移す時には、「エイッ!」っていう勇気が必要だった。

やってみて気づいたのは、「意外と変人扱いはされない」ということ。
誰も見ていないし、ほめられることもないけど、とても気分が良いこと。
疲れている誰かや道に落ちたゴミを、見て見ぬふりをすることで、自分自身が、意外と傷ついていたことにも、気づいた。

「一日一善」は、自分のために、続けていた。

些細なことでも、続けている内に、自分が少し好きになった。
続けることで、なんだか自信のようなものもついた。
他の人がしている親切にも気づけるようになって、自分の住む世界が少しだけ優しくなった。

その後、何故か人生がトントン拍子でうまくいって、急に忙しくなってしまって、すっかり忘れていた。

ドアを開けたり、ごみを拾ったりは、もう体に染みついてしまった。
それでも、本当に疲れていたり、心がささくれていると、何もする気になれないのも知った。

またできることから、始めてみようかな。

I love you.

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