女性として暮らすために とおくのまち25

すぐにでもSRS(性別再判定手術)したかったわけではありません。
SRSをすれば、戸籍も変えられるし、温泉にだって行けるけれど、そんなことではない。

ちゃんとした「女性」になりたい。それはなりたい。

でも、、、遠い夢。叶うのかなぁ。


わたしがまず手に入れたかったものは、女装のままで眠ってしまったとしても、
次の朝、シャワーを浴びたときに、長い髪と、乳房と、そしてヒゲの生えていない素顔がほしかったのだから。
 
レーザー脱毛に踏み切った。ヒゲをなくしたかった。
レーザー脱毛開始。友人のクチコミやネットでも調べて良さそうなA医院へ、レーザー脱毛の説明を聞き、テストを受けた。針で刺されるような痛さ、我慢できないほどではない。処置後も良好。
一歩一歩でも、出来ることを積み重ねていくしかない。
それが、先を霧で閉ざされたような、
はるかに気の遠くなるような道のりであるとしても。

髪を伸ばし始めました。
幼い頃から、女性の長い髪はすごく憧れだったから、自分もそれを手に入れたかった。
しかし、社会人になったころからストレスも多かったのか、早くも薄毛になっていた。
イワシが効くとかテレビで見てからはイワシをよく食べたりした。その効果があったのか、それとも、女性ホルモンの薬が効いたのかはわからないけれど、いつのまにか薄毛は治っていた。さすがに、前髪までふさふさとはならなかったけれど、
なんとか回復したので、それを機に髪を伸ばしはじめた。
くせ毛だったし、伸びかけはたいへんでした。
だんだんと髪質も変わってきて、男性らしいゴワゴワとした髪ではなく、
柔らかくて細いさらさらとした髪質になってきたし、途中で抜けずに長く伸びるようになった。ムースで固めたり、ゴムで縛ったりして目立たないようにしていたけれど、そのうち、肩にかかるくらいの長さになっていく。
茶髪が流行っていたのから、髪も茶色く染めたりした。
最初のうちは、男性の恰好で美容院へ通っていたけれど、いくら性同一性障害のことを語っても話しが通じず、
すぐに短く切られてしまいそうになって、段をいれて、男の子の長めのヘアスタイルにされてしまうのが不満でした。
どうして通じないのだろう。
女っぽい男性の髪型ではなく、女の人がする髪型にしたい……
こんな簡単なことが通じないなんて。
どうしても、男性がする髪型の範囲内の中でしか女性ぽくカットしてくれない。
男性は男性らしい髪型っていう凄く固い壁でもあったのかな、そんな
時代でした。


そのうち、理解のある担当の方に当たった。
女性の美容師さんで、性同一性障害のことをなぜかよく知っていた。こういう業界の方は理解のあるほうだとは思っていたけれど、あの美容師さんは、当事者か関連のあるひとだったのかな。
そのひとにカットしてもらったときは、自分の中途半端な長さの髪でも女性らしいヘアスタイルに仕上がっていて、なんだか気恥ずかしくもあり、うれしくもあった。
帰り道では、鏡やショーウィンドウを見つけるとナルシストの人みたいにそこに映る自分の姿を何度も見た。
ある程度の長さになってからは、女性の恰好で行くことにした。
馴染みのところで急にそうするのは恥ずかしかったので、別の美容院を探した。
新しい美容院へは、最初からメイクして女の恰好をして行った。
そのほうが話しは早かった。説明しなくても男性向けの切り方はされなくてすむ。
いちおう、性同一性障害でとか話したけれど、よくわからないのか、水商売のニューハーフかホステスかそんな感じだと思われていたようだ。「出勤前とかのヘアセットも割引でできますよ」とセールされたりした。世間一般の認識なんて、そんなもの、性同一性障害のニュースなんかけっこうやっていても、オネエタレントか水商売のニューハーフのイメージしか思い浮かばないらしい。
せっかくなので、遊びに行く前とか、髪をセットしてもらったりかんざしのようなヘアアクセサリを飾り付けてもらったりした。
ハーフアップにして飾られた髪は想像以上にテンションがあがる、これは男性にはあまりない感覚だったのか、自分はやっぱり女性だと思えて気分もよくなった。


髪の毛を長くすることは、変化が大きかったかな。
ふつうに男性の服装をしているつもりの時でも、女性に間違えられることが
頻繁に起きたので、むしろ、自分が戸惑ってしまった。
女ぽくならないように長い髪はヘアゴムでひとつに束ねていたけれど、それでも、茶髪のロングヘアは目立つようだ。ふつうに男の恰好をしているつもりだったので、男子トイレに入ろうとしたら、トイレの清掃員に「姉ちゃん、こっちは男子トイレやで」と注意されて入れてもらえなかったり、
私が男子トイレの洗面所のところで手をあらっていると、入って来たサラリーマンが「間違えました」と慌てて引き返して出て行ったりした。
ギャグマンガの実写版を見ているようで、なかなかおもしろかった。
ヘアスタイルの影響って、大きいなぁと思った。
 
 
この時期は、とにかくフルタイムで女性として暮らせるようにしようと
必死だったのです。
自宅をもう一度、住めるような状態に復旧するため、ガスを使えるようにしたり、
家具や家電を揃え始めていた。通販でふとんを買った。届いたのはアイボリーのシンプルなもの。ドレッサー、コタツ、ドライヤー、冷蔵庫、炊飯器など。
ひとり暮らしへと向けて着々と準備をしてきました。
服をそろえ、靴や鞄をそろえて、部屋を掃除したり、荷物の整理をしたりして、その日に備えてきました。

家具も何もない空間でした。
階段を椅子と机にして食事をしたり、洗面器が洗濯機の代わりでした。ダンボール箱で、パソコンの台や鏡台にしていました。
いつか、理想の部屋にすべく、少しずつ家具などをそろえ始めた。
しかし、家具や電化製品はどれも値が張り、思うように揃えられないまま、ただ、時間だけが無駄に過ぎていく。
何度も、絶望した。しかし、諦めるたびに諦めきれない自分がいた。
ここで、終われば、今までのすべてが無駄になる。
まだ、なにもはじまっていないのに。
これは、けっして親や家からの独立ではない、絶望に囚われた自分自身からの独立である。
 
進まない計画、焦りと不安。
はかどらないダイエットに一進一退したり、必要な服や用具、家具が多すぎて、資金が苦しくなったり悩みはつきなかった。
とりあえず、羨望のもっともたるもの、女性ホルモンの摂取という大きな目標を達成して、嫌悪していた男性化を抑制できたとはいえ、思ったほど、女性化することもなく、リアルライフテストとしての生活の実践が進展しないことに焦りを感じていく。
 
 
ちょうど「自分探し」というのか一種の自己啓発がブームとなっていたこともあり、私も数多くの本を読み漁り試みてきました。
年月が過ぎ、ふと気付いてみると、それは、「理想」という名の「他人」
になろうとしていたのではないかと痛感させられたのです。
自分探しが皮肉なことに、本当の自分をなくそうという努力をしてしまっていたのではないでしょうか。
どれだけ気を紛らわせようと、最後に蓋を開けると、そこには、恐る恐る本当の心が佇んでいるのでした。
 
そのうち、診察へ同行してほしいと言ったら、母は、「先生と
ケンカしたらなあかん」と言った。とても、ショック!!
理解してほしい私。絶対にみとめたくない母。
自分が大事に育ててきた息子が、女だと主張し、医者がそれを
認めたとしても、母としては、納得できるはずはない。
それは、よくわかる。
しかし、私とて、遊びでやっているわけではない。
私は、すべてをかけている。この命さえも。
これまでも、幾多の試練をかいくぐってきただろう。
たった一人で、悩み、考え、ここまで来たのだ。
私には、たどりつかねばならないゴールがあり、
そのゴールこそが、すべてが始まるスタートラインなんだって。
いまさら、たちどまることも引き返すこともできない……と。

 
 
 

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