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永遠のドラセナ


もうここ十数年、観葉植物を買っていない。

観葉植物を買って、育てるだけの余裕がなかった。

かつてのわたしなら、町で観葉植物を見かけたなら、見ずにはいられなかった。

特に、樹木のタイプには目がなく、どれを買おうか?などと考えながら眺めていた。

「すみません、これ買いたいんですけど、どうやって育てるんですか?」

「水はどのくらいであげます?」

「室内で育てるの?」

「室内ね。だったらね、、」

と、いつものやりとりが始まった。

ひとは、似た者同士が集まると言うけれど、植物はどうなんだろうか?

やはり、自分と似ているものを、求めるものなのか?

わたしがいつも選んでしまうのは、ドラセナだった。

”幸福の木”という別名に、惹かれていたことは否定できない。

実際に、幸福を欲していた。

相手の方から、自分へ都合のいい出来事が勝手に舞い込んでくれる妄想を、強く信じていた。

わたしは、常にそれを熱望していた。

岩の如く せかいを信じず ひたすらに われを吹く風 待ちにけるかも

日々の生活は、全て流れであって、流されてゆくもの。

おのれの中に、微かなヴィジョンがあったとしても、それは、映画の中のストーリーであり、わたしとは、乖離していた。

わたしが出来る事は、わたしの目の前にあるものだけ。

わたしの目の前にあるものだけが、唯一、わたしの手を伸ばせる範囲内だった。

ドラセナは、そんなわたしをいつも見つめて、どう想っていただろうか?

「そんなことより、たまには外に出して新鮮な空気を吸わせてくれ」

そんな風に聞こえてきた。

もし、このドラセナがなかったら、わたしの部屋は少し寂しかった。

無言だけど、それでよかった。

ドラセナの緑が、わたしに優しかった。




いつも最後の記憶がない。

今度ドラセナを買ったら、最後まで記憶に留めたいな。


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