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#20-2部屋とYシャツと私ならぬ、「コインランドリーと児童」。親孝行は自分孝行やねんでーのパート2。(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)


今日は母が仕事をする中で、私が依頼された仕事を書いてみたいと思います。
noteが長くなりすぎてしまっていたので2記事に分けました。内容は変えていませんが読みやすさを意識しました♪

次は‥洗濯機が使えない我が家の独特のお手伝い。

冷蔵庫洗濯機が使えない理由はこちら


コインランドリーで洗濯(週1回) 拒否権無

家の洗濯機は使えないので、毎週ビニール素材がついている強度がある大きな紙袋に洋服を詰めてコインランドリーに洗いに行っていました。洗剤も持参するので結構な重さでした。洗うのは一週間分。
毎日洗濯をしてもらえる家が羨ましいと思っていましたが、同時に1日・2日洗わなくても、どうってことないという耐性ができたのもこの頃です。

(テレビで芸人さんが●日風呂に入っていないとか、●日洗濯していないという話でキャ――っと嫌がる人の様子を見た時に、あぁ世間ってこういう認識なのねと思い、話題から封印した記憶があります。)

節約もあって乾燥はせずに家に帰って干すので、持って帰る時は水分を含む分重いのです。持った時に重さから食い込む紐と、時々地面と紙袋の底が擦るので、時々小休憩をいれて、行き道と帰り道には学校の人に会いませんようにと唱えながらしていました。(自分の姿が情けないので見られたくなかったんですよね。今考えるとランドリーが何が悪いんだ?って思えますが、普通は家で洗濯するものという発想が基本の場合には辛かったのです)

家に帰ったらすぐベランダに干します。夏はすぐ乾きますが、冬は冷たい洗濯物を触るだけで手が一気に冷えて赤くなります。終わって部屋に戻る瞬間の満足感を思い出します。暑い夏の日・冬の寒い日のランドリーの往復は猛烈に厳しかったです。汗が止まらないとか、寒すぎてたまらないとか・・家にエアコンや扇風機がなかったので、暑いときは団扇で過ごし、冬は炬燵のみでしたので、体温調節が容易ではなかったからです。

コインランドリーを使うときに使ったことないといわれると、お母さんがしっかり洗濯してくださる家だと思っていました。逆に、犬の服を洗うのにコインランドリーを使うっていう話を聞いたときは、(我が家、犬と同じかよ・・)と思っていました(笑)

洗濯一つとっても、家で出来るが当たり前じゃない家もあるわけで、今は家を出ずに、洗濯ができることを猛烈に感謝できています。
洗濯機は文句ひとつ言わず、ボタン一つでしてくれるありがたさ。人間は文句の一言二言ありますからね(笑)

幼少期の体験から当たり前の基準が低くなっていることで、些細な事で幸せを得れている今にありがたいと思っています。

当たり前の基準は自分が知らぬ間に決めますが、当たり前じゃないことばかりだと思っています。

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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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