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#65空を飛んだ日。空飛ぶゴキブリならぬ空飛ぶ児童。事故したら、補償は何かをしっかり確認すること(貧困幼少期からNPO代表理事までを振り返る)毎日note更新中

業務委託の提案を頂いたのですが、条件が合わず断りました。「準委任」なのか「請負」なのか、曖昧な契約は出来ないと感じている今です。己を守る方法の一つに「法律」があると感じます。知っておいた方が良いなと感じています。リスク未然防止。

契約書に名前を書くときは、慎重に。

初めて空を飛んだ日。

私は交通事故を2度、小学生・中学生の時に体験しています。
どちらも自転車が大破したものの、自身の代わりに自転車が負ってくれた分私は無傷でした。

ちょっとしたタイミングが違えば、今こうやって生きていなかったかもとか、足を失う事になっていたかもしれないと、後の時間で感じました。

そんな初めて空を飛んだ日について・・・

私は玉あり自転車<補助輪付き自転車をいう>を父に買って貰いました。

最初で最後の父がくれた自転車は、交通事故であまり長く使用することが出来ませんでした。

玉あり(補助輪)が取れて走るようになると、楽しくて自転車でどこかに出かける事が増えました。自転車があればどこでも行ける気がするくらい、自転車に乗れた時は嬉しくて仕方ありませんでした。

子供とは前しか見ていないのではないかと感じています。その日はT字の直線を自転車で競って走っていました。

〈何と?〉併走して走り、抜かした瞬間「やったぁー」と思ったら、合流部分に差し掛かっており目の前に車が。

あっ!


ドンッ!!!(車の後部座席の左側面にまるで車体との関係がT字になるようにぶつかったのです)


私は飛びました。

今でもあの日の視界は忘れられませんが、物凄くゆっくりと飛んでいる気がするのです。走馬灯のように思い出は出ませんが、周りの景色が物凄くゆっくり見えたのです。

うわぁ~~~

ドサッ(道路に落ちた音)

アスファルトにぶつかり私は泣きました。

父がくれた自転車は車輪がタイヤの形状をしておらず、ぐにゃりと曲がり、二度と自転車として機能することはなさそうな状態になっていました。

運転手は女性の方で、すぐ警察に電話してくれました。
たまたま家に居た母は事故の場所まで来てくれました。

病院まで運転手の方も付き添ってくれ、傷はなかったのでよかったということで、病院代を払ってくれて終わりました。

自転車は潰れたまま修理されることはありませんでした。
(ちなみに我が家に自転車という高級な乗り物を修理をする余裕がないのです。)
何年後かに交通事故で物損は補償の範囲だと知るのですが、当時何も知らなかった母と私は怪我しなくてよかったと終わってしまっていました。

平成10年迄の交通ルールや補償は違うと思いますが、補償対象だったと知ったときに、自転車を直してくださいって言えばよかったと思った私です。
子供が相手だと過失割合は子供側が下がるということを今回記事書くときに知りました。

交通事故はその瞬間にすべての影響が出るとは限りません。だからこそ、こういうような対応ではなく、しっかりしてもらった方が良いと思います。
(今ならこんな対応しないと思いますが(笑)当事者同士でのやりとりはもめる元ですので・・)
子供さんが事故に撒き壊れた時は大人同士の割合ではない可能性あるので要確認です。

私はもしかするとあの時に道路にぶつかった事で義務教育に興味が持てなかったのかもしれません。目に見えるものしか信じられなかったときが多かったものの、交通事故で無傷だった時は「何かの力」があったのかなと感じた事を覚えています。

紙一重で人生は大きく変わると感じた瞬間です。

ちなみにこの時は、まだ母がパチンコ狂になる前の仕事を探しているときでした。警察官から電話がかかってきた時に『オタクの娘さんが事故されました』って掛かってきて、いたずら電話だと思ったそうです(笑)

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私は、ささいなことで人生は変わると信じています。
自分の人生での大きな節目を思い出すと、節目の前には必ずささいなキッカケがあったからです。
見て下さったあなたの人生への些細なきっかけになればと思って書いています。
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