生きるということ
こんばんは!!今日もお疲れ様です。
昨日、コロナ後遺症で体調が思わしくないという記事を投稿しました。
今日も、全身が筋肉痛のように痛くて、鼻づまりもひどく、のどの渇き、のどの痛みなどもあって、時々起きているのが辛くて、何回か1時間弱寝込んだりする一日でした。
体調が思わしくなくて辛いのは辛いのだけど、でもその辛さに気持ちまで引っ張られないでいられる自分もいて、それだけでも気持ち的に楽になれているのかなと、ほんの少しだけ嬉しくなったりしています。
絶対にならないと思っていたコロナになってしまった時、初めはショックだったものの、案外あっさり受け入れてしまっている自分がいました。決してコロナを甘く見ているという意味ではなく、コロナにかかったことをそのまま受け入れているから、むやみに自分自身と抗わなくて済んでいるのかなと思っています。
さて、今少しだけ調子がいいので、テーマにある「生きるということ」について、今私が感じていることを言葉にしてみたいと思います。
今のところ連続投稿12日達成できている自分、我ながらすごいなと思って褒めているところですが、思っていることをそのまま言葉にできているかというと、まだまだ物足りなさを感じています。
これは、毎日何かしら書いていくという「言語化の積み重ね」が必要なのでしょうし、そうすることでどこかで何かのきっかけで、自分の想いが心の底からあふれてくるのだろうと、それまでは焦らずに自分自身とじっくり向き合っていきたいと思っています。
さて、今回コロナに罹患して、そしてコロナの後遺症になって、ますます思うことは
「生きるって、それだけで奇跡なんだ」
ということ。
「毎朝目が覚める」ということを、私達は当たり前のように感じているけれど、実はすごい『奇跡』なんだということ、そのことを私達はついつい忘れがちになります。
心臓が動いている、目を開けている、指が動いている、見たい物を見る、1つ1つの動作ができているというのは、当たり前のことではないんですよね。現に私だって、今パソコンに向かって思いを言葉にしようと、パソコンのキーボードを打っている、この指が動くことも、呼吸していることだってそう、『奇跡』そのもの。
今こうして生きている私達は、毎日たくさんの『奇跡』に囲まれて過ごしているということに気づくと、なんて豊かな世界なんだろうって思えてくるのです。
誰かが生きたかった今日という日を、私は生きている。
誰かが見たかった世界を、私はこの目で見たり感じたりしている。
そう思うと、今「生きている」この豊かな世界を味わっていきたいと思うのでした。
今日ふと思ったことを、思いつくままに書いてみました。