萩原朔太郎と室生犀星について:たちの悪い年増女とヒユーマニチイの祕密
8/25(金)、SHOWROOM<夢想ハウス.にこにこ>にて61作品目『田端に居た頃(室生犀星のこと)』を朗読したよ。
前回、室生犀星の『蛾』を読んだ。調べていると室生犀星のエピソードがかなり独特で興味を持ったので、生涯の友である萩原朔太郎によるエッセイを読んでみた。室生犀星と萩原朔太郎、両名の人柄がわかる作品で面白い。
萩原朔太郎 田端に居た頃 (室生犀星のこと) (aozora.gr.jp)
👆ここで毎月朗読してる📚
🐸友ってなんだろう。愛ってなんだろう。グーグー…。
人が人と共に居たいと思う時、必ずしも明るくウキウキ、楽しくて美しいから一緒に居たいのではない、というところが人間関係の面白さだと思う。
この『田端に居た頃』の終盤で萩原朔太郎が書いたような、一単語であらわすことのできない複雑さこそが、言葉を介する余地のない本質の共鳴なのだろうか。
二人の出会い
萩原朔太郎は雑誌で読んだ室生犀星の詩に惚れ込みすぎて、一時期は室生犀星っぽい詩ばかり書いていてつまらんと批評されるほどだったそうだ。
ある日萩原が「まだ見ぬ君に對する敬愛と思慕の念に耐へかねて、長い戀文のやうな手紙を」出したことから文通が始まり、その後室生が萩原の家を訪ねるかたちで初めて実際に会ったとのこと。
その初めて会った日、お互いにひどい感想を抱くのだが、それをきちんと書き残し発表してくれているのがありがたすぎる。非常に面白い。
●萩原朔太郎→室生犀星
●室生犀星→萩原朔太郎
ほんとに仲いいんだろうなあ、語彙の選び方が笑える。
ちびりちびりと飲んで永い四十年間倦きることがなかった
先ほど引用した室生犀星『我が愛する詩人の伝記』は、亡くなった愛する詩人たちについて書いた作品であり、萩原の死後に書かれたもの。
萩原は55歳で亡くなってしまう。3歳年下だった室生は72歳まで生き、亡くなるひと月前まで作品を書き続けた。室生は二人の関係性を振り返ってこう書いている。
これまたすごい表現だ。
「性格、趣味、生活、一つとして一致しない」二人だったはずが、あまりに深いところで惹かれ合ったがために、会えば口論し互いにブチブチ言い合いながらもこんな状況へとたどり着く。萩原は書く。
室生が「たちの悪い女で始終萩原を追っかけ廻し」、萩原は「ずるずるに引きずられている」…どころかその孤独さ、いぢらしさに「ヒユーマニチイの祕密にふれる」とさえ感じ、涙を流している。
霊肉相通じた芸術的双生児
やがて室生犀星は徐々に詩から小説へと舵をきり、1932年に刊行した詩集『鐵集』を最後の詩集と称し、「詩とお別れ」した。
『詩に告別した室生犀星君へ』で萩原は、西洋の詩(青年の文學)と日本の俳句(老人の文學)を対比し、西洋の詩から俳句的な世界へと価値観が移っていった室生を切なく見送っている。「別れ」という詩が切ないので是非読んで~。
室生の第一詩集『愛の詩集』の序文で、両名と仲が良かった北原白秋は『君と萩原君とはまことに霊肉相通じた芸術的双生児である。』と書き、こう続けていた。
正反対の気質でありながら同じ身体を持つ「両頭の奇性児」。当時の詩壇では確かに身体を同じくするように活躍した親友であった。その後起こった価値観の変化は、ひどく寂しいものだっただろう。
生涯の友であることには変わりないだろうが、二人の活躍の場は分かれてしまった。作品世界のみでの友情ではないけれど、逆に作品世界が無関係な友情でもなかっただろう。「両頭の奇性児」の身体は引きちぎられても、喪った部分すらみつめながら歩いていくしかない。
このような彼らの友情について知るたびに、互いに愛していた彼らの世界をもっと知りたい、両方とも知りたい、という気持ちは募るばかり。
萩原朔太郎 室生犀星に與ふ (aozora.gr.jp)
萩原朔太郎 詩に告別した室生犀星君へ (aozora.gr.jp)
萩原朔太郎 別れ 旅の記念として、室生犀星に (aozora.gr.jp)
室生犀星 我が愛する詩人の伝記 (aozora.gr.jp)
銭湯へ行った冬の日
最後に、また面白いサイトを見つけてしまった。インターネット大好きや🎵
こちらは東京都大田区の馬込周辺に関係のあった作家をとりあげているサイト。
ブラタモリのように、当時の地図も載っていて興味深すぎる。
室生犀星や萩原朔太郎の作品についても紹介されている。『黒髪の書』、気になる。今度読んでみよう。
というわけで、来月の夢想ハウス.にこにこでは、9/22(金)21:00~、萩原朔太郎の詩を読んでみようと思います。ぜひ聴きにきてね~♬
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