☆自己紹介①☆~誕生から中学生まで~

はじめまして!!
私は楽しい事が大好きで、常にチャレンジしたい性格の「海老谷大樹」と申します!どうぞ【えびちゃん】と呼んでください!
この記事では、私の事を知っていただくために、
<生い立ち><経験>等を含めて記事にしたいと思います。
どうか最後まで読んでいただけますと幸いです。

■1994年1月18日 大阪府大阪市生まれ B型
長男として誕生。

とにかく昔から“よく食べ””よく泣く”子供だったそうです(笑)
ですが、歩けるようになって、周りの子どもや少し年齢が上の子どもたちに対してすぐに興味ある感じで常に目をキラキラ、ギラギラさせていたようです。公園デビューでも周りのお友達は泣いているのに僕だけ泣いていない。好奇心旺盛で、親の手から離れると泣かずにいろんな事にチャレンジして、「これどうするの?教えて!教えて!」と言わんばかりに集中して取り組んでいたようです。今自分自身でも思いますが、【常にチャレンジしたい】【1つの事にかかると集中できる】【好奇心】はこの時からだったのかと思います。
又、人懐っこく周りからすごく好かれていたようです。これがのちに私の財産の1つである『縁』に繋がっていてこれが始まりなのかと、最近は思います。

そしてそんな中出会い、始めたのが<野球>でした。
自宅から徒歩5分ほどのグラウンドで早朝の5:30からソフトボールをやっていた事もあり、小学1年生から始めました。その前から水泳はやっていましたが、物心ついたときにはよく父とキャッチボールやバッティング等で遊んでもらい、楽しかったのが野球で、その思い出は今でも鮮明に覚えています。
ソフトボールは小学2年生で終え、そこから軟式野球➡硬式野球と変わり、いつしか私の夢は『プロ野球選手になること』になり、【目標】へと変わりました。

小学5年生までは順風満帆に行っていた野球人生。
ピッチャーもできて、キャッチャーも内野手もできて、
結果も残す事ができて・・・
しかし6年生で野球肘になり、極度のスランプに陥り、レギュラーを最後の大会では獲られてしまいました。
中学生になっても、最初は1年生で1人だけ上級生で試合に出たりしていましたが、最終学年は何をやっても上手くいかない。初めての大きな”挫折”を経験しました。この時の感情は今でも忘れません。本当に悔しい想いをしました。
最終学年の最後の大会も、
レギュラー取られたくない一心で頑張っていましたが、
蕁麻疹により全身ブツブツ、高熱を発症。それでも試合には行き続け
さすがにスタメンは外されましたが、代打で出るなどでベンチメンバーには入ってました。しかし、最後の試合は、40度の高熱で倒れ行けず、点滴打たれながら寝ている間に試合は負けて、私の中学生の野球人生は終わりました。

この一連の中で、
私は野球が嫌いになりかけていました。
何をやっても上手くいかない。
先述した“大きな挫折”でした。この中学3年間ははっきり言って
良い事0.5割・嫌な想い9.5割でした。
しかし、この経験をバネにして頑張ってやる!!と思える自分もいてました。

それは1人ではなかったから。

だと思います。

いつも両親には朝早くから夜遅くまで野球の練習、試合に同行してもらい、
平日も夜練に付き合ってくれたりと、その姿がどうしても浮かぶ・・・
また、ソフトボールから軟式野球に誘ってくれた友人、
その軟式野球で知り合ってかわいがってくれたコーチ、
そのコーチが紹介してくれた硬式野球チーム。
全てがつながっていて、その当時は理屈ではなく感覚ではありましたが、
この【つながり】【縁】は壊したらダメだなとわかっていました。
また両親からも「あんた縁には本当に恵まれている。本当に大事にしないとあかんよ」と言われていたのもありました。

又その時は、
野球をやめるのが、
チームをやめるのが
”逃げる”事になると思い、逃げる事は絶対しない!!
と【見えない何か】に負けたくない一心で野球を続けておりました。
そこでいつしか
野球=楽しいモノ
を完全に忘れていました。
しかし楽しい事を忘れていた変わりに、
この3年間苦しかったけど、
何か良い事はなかったか、
何かポジティブに転換できる物はないか。
それを必死に考えました。
その結果、たどり着いた答えが
「縁」
「なにがあっても負けたくない根性」
「忍耐力」
でした。
特に
「なにがあっても負けたくない根性」
「忍耐力」は
高校、大学、社会人になっても生かされているなとつくづく感じます。

高校こそ、野球でひと花咲かせて
見返してやると決めました。

高校は【太成学院大学高等学校】へ入学したのですが、
入学前の合同練習会で同学年約25名ほど+現役高校生1・2年生、
合わせて100名ほどの練習会に参加したのですが・・・・

周りのレベルが高いなー、、、
と思ってしまった事や、同学年の同じポジション(キャッチャー)で
特待生がいた事で、一瞬引け目を感じてしまいました(笑)

それでも中学3年間の悔しさを晴らすためにも、なにくそ根性で奪い取ってやるという気持ちでやってきた場所。何が何でも負けてたまるか。
そんな気持ちで始まる、"怒涛の高校三年間"でした。



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☆PROFILE☆
海老谷 大樹
1994.1.18 大阪市生まれ 
男 B型

⚾球歴⚾
◇小学4年生~中学3年生
-大阪平野富士ボーイズ-
◇太成学院大学高等学校へ入学
☆主将☆
☆2010年大阪府秋季大会ベスト8☆
☆2010年大阪府21世紀枠選出☆
◇関西国際大学へ入学
☆人間科学部経営学科 地域マネジメント専攻☆
☆高等学校教員免許(公民科)取得☆
◇株式会社岩崎製作所へ入社(2016年)
営業部へ配属
☆2019年 営業部課長☆
☆2020年 営業部部長☆
☆2021年〜2024年3月 営業部部長兼経営補佐☆
⭐︎2023年10月 FP2級取得📚
◇2024年4月〜
・First end株式会社 CMO
・株式会社エヴィスクリエイション

🍀好きな言葉🍀
「置かれた場所で咲きなさい」
「優れるな異なれ」
・・・表裏一体の言葉の意味。そこには「どの角度から物事をとらえ、考え実践するか」。推測ばかりではなく、やるしかない。これがスタート。

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